、碌にわからねえ奴だったと見えて、いい加減に廉《やす》く売ってしまったので、万助は大喜び、とんだ掘り出しものをして一と身代盛りあげる積りで、家へ帰って女房なんぞにも自慢らしく吹聴していたんですが、実は自分にもまだ確かに見きわめが付かねえので、ある眼利《めき》きのところへ持って行って鑑定して貰うと、なるほどよく出来ているが真物《ほんもの》じゃあない、これはたしかに贋物だと云われて、万助め、がっかりしてしまったんです。野郎、千両の富籤《とみくじ》にでも当った気でいたのを、大番狂わせになったんですからね。はははははは。いや、万助ばかりじゃあねえ、わっしも実はがっかりしましたよ」
「いや、がっかりすることはねえ」と、半七は笑いながら云った。「仙吉。おめえにしちゃあ大出来だ。これからもう一度万助のところへ行って、その贋物を売った道具屋はどんな奴だか、よく訊いて来てくれ」
「でも親分、それは贋物ですぜ」
「贋物でもいい。それを売った奴が判ったら、それからすぐにそいつの居どこを突きとめて来てくれ。なるたけ早いがいいぜ」
「承知しました」
仙吉は怱々《そうそう》に出て行った。
あくる朝になっても忠三郎は顔をみせないので、半七は日本橋辺へ用達しに行った足ついでに、通旅籠町《とおりはたごちょう》の河内屋をたずねると、忠三郎はすぐに出て来た。かれは気の毒そうに云った。
「親分さん。まことに申し訳ございません。早速うかがいたいと存じて居りますのですが、なにぶんにも稲川様のお屋敷の方が埒《らち》が明きませんので……」
「御用人が一緒に行ってくれないんですかえ」
「年末は御用繁多で、とてもそんな所へ出向いてはいられないから、来春の十五日過ぎ頃まで待っていろと仰しゃるので……。それを無理にとも申し兼ねて、わたくしの方でも困って居ります」
「そりゃあまったく困りましたね。年末と云ったってまだ二十日前だから、そんなに忙がしいこともあるまいに……」
「わたくしもそう思うのですが、なにぶんにも先方でそう仰しゃるもんですから……」と、忠三郎もひどく困ったらしい顔をしていた。
「いや、ようございます」と、半七はうなずいた。「向うでそう云うなら、こっちにも又考えがあります。まあ、御安心なさい。もう大抵の見当はつきましたから」
忠三郎に安心させて、半七は神田の家へ帰ってくると、仙吉が待っていた。
「親分、わかりました」
「判ったか」
「万助の奴をしらべて、すっかり判りました。贋物を売った古道具屋は御成道の横町で、亭主は左の小鬢《こびん》に禿《はげ》があるそうです」
四
師走の町の寒い風に吹かれながら、日の暮れかかる頃に半七は下谷へ出て行った。御成道の横町で古道具屋をたずねると、がらくた[#「がらくた」に傍点]ばかり列《なら》べた床店《とこみせ》同様の狭い家で、店の正面に煤《すす》けた帝釈《たいしゃく》様の大きい掛物がかかっているのが眼についた。小鬢に禿のある四十ばかりの亭主が行火《あんか》をかかえて店番をしていた。
「おお、立派な帝釈様がある。それは幾らですえ」と、半七はそらとぼけて訊いた。
それを口切りに、半七はこのあいだの探幽斎の掛物のことを話し出した。
「わたしはあれを買った万さんを識《し》っているが、安物買いの銭うしないで、とんだ食わせものを背負い込んだと、しきりに滾《こぼ》しぬいていましたよ。はははははは」
「だって、おまえさん」と、亭主は少し口を尖らせて云い訳らしく云った。「まったくお値段との相談ですよ、中身は善いか悪いか知りませんが、あの表装だけでも三歩や一両の値打ちはありますからね。して見れば、中身は反古《ほご》だって損はない筈です。わたしもあんなものは手がけたことが無いので、一旦はことわったのですけれど、近所ずからで無理にたのまれて、よんどころなく引き取ったのですが、年の暮にあんな物を寝かして置くのも迷惑ですから、二百でも三百でも口銭《こうせん》が付いたら売ってしまう積りで、通りかかった屑屋の鉄さんを呼んで、店のまえであの掛地をみせているところへ、横合いからあの人が出て来て、何でもおれに売ってくれろと、自分の方から値をつけて、引ったくるように買って行ってしまったんですから、食わせ物も何もあったもんじゃありませんよ」
「そりゃあお前さんの云う通りだ。万さんもなかなか慾張っているからね。ときどき生爪《なまづめ》を剥がすことがあるのさ。そこで、あの掛地はどこの出物《でもの》ですえ」
「さあ、生まれは何処だか知りませんが、ここへ持って来たのは、裏の大工の家《うち》のお豊さんですよ」
裏の大工は峰蔵という親方で、娘に弟子の長作を妻《めあ》わせて、近所に世帯を持たせてあるが、道楽者の長作は大工というのは表向きで、この頃は賽の目の勝負ばかりを争っている。舅《しゅうと》の峰蔵も心配して、いっそ娘を取り戻そうかと云っているが、もともと好いて夫婦になった仲なので、お豊がどうしても承知しない。峰蔵は堅気《かたぎ》な職人であるのに、とんだ婿を取って気の毒だと亭主は話した。それを聴いてしまって、半七は何げなくうなずいた。
「そりゃあまったく気の毒だね。なぜ又そんなやくざな奴に娘をやったんだろう」
「なに、長作もはじめは堅い男だったんですが、ふいと魔が魅《さ》して此の頃はすっかり道楽者になってしまったんです」
「その長作の家はどこだね」
「すぐ向う裏です。露地をはいって二軒目です」
半七はその足で向う裏の長作の家をたずねると、女房のお豊が内から出て来た。お豊はようよう十八九で、まだ娘らしい女振りであったが、さすがにもう眉を剃《そ》っていた。かれの白い顔はいたましく蒼ざめていた。
「長さんはお家《うち》ですかえ」
「今ちょいと出ましたが……。どちらから」
「わたしは松円寺の近所から来ましたが……」
「また誘い出しに来たんですか」と、お豊はひたいを皺《しわ》めた。「もう止してくださいよ」
「なぜです」
「なぜって……。おまえさんは藤代《ふじしろ》様の御屋敷へ行くんでしょう」
松円寺のそばには藤代大二郎という旗本屋敷のあることを半七は知っていた。その屋敷のうちに賭場《とば》の開かれることは、お豊が今の口ぶりで大抵推量された。
「お察しの通り、藤代の御屋敷へ行くんですが、まだ誰にも馴染《なじみ》がないもんですから、こちらの大哥《あにい》に連れて行って貰わなければ……」
「いけませんよ。なんのかのと名をつけて誘い出しに来ちゃあ……。誰がなんと云っても、内の人はもうそんなところへはやりませんよ」
「長さんはほんとうに留守なんですかえ」
「嘘だと思うなら家じゅうをあらためて御覧なさい。きょうは用達しに出たんですよ」
「そうですか」と、半七は框《かまち》に悠々と腰をおろした。「おかみさん。済みませんが煙草の火を貸しておくんなさい」
「内の人は留守なんですよ」と、お豊はじれったそうに云った。
「留守でもいいんです。実はね、わたしの知っている本郷の者が、このあいだの晩に森川宿を通ると、化け銀杏の下に女の幽霊の立っているのを見たんです。野郎、臆病なもんだから碌々に正体も見とどけずに逃げてしまったんですよ。いや、いくじのねえ野郎で……。江戸のまん中に化け物なんぞのいる筈がねえ。わたしなら直ぐに取っ捉まえてその化けの皮を剥いでやるものを、ほんとうに惜しいことをしましたよ。ははははは」
お豊は黙って聴いていた。
「勿論わたしが見た訳じゃあねえんだから、間違ったら、ごめんなさいよ」と、半七はお豊の顔をのぞきながら云った。「ねえ、おかみさん。その幽霊というのはお前さんじゃありませんでしたかえ」
「冗談ばっかり」と、お豊はさびしく笑っていた。「どうせわたしのようなものはお化けとしか見えませんからね」
「いや、冗談でねえ、ほんとうのことだ。その幽霊は藤代の屋敷へ自分の亭主を迎えに行ったんだろうと思う。惚れた亭主は博奕《ばくち》ばかり打っている。それが因《もと》で父っさんの機嫌が悪い。両方のなかに挟まって苦労するのは、可哀そうにその幽霊ばかりだ。ねえ、おかみさん。その幽霊が真っ蒼な顔をしているのも無理はねえ。かんがえると実に可哀そうだ。わたしも察していますよ」
お豊は急にうつむいて、前垂れの端《はし》をひねっていたが、濃い睫毛《まつげ》のうるんでいるらしいのが半七の眼についた。
「そりゃあほんとうに察していますよ」と、半七はしみじみ云い出した。「亭主は道楽をする。節季師走《せっきしわす》にはなる。幽霊だって気が気じゃあねえ。家のものだって質《しち》に置こうし、よそから預かっている物だって古道具屋にも売ろうじゃあねえか。眼と鼻のあいだの道具屋へ鬼の掛地を売るなんかは、あんまり浅はかのようにも思われるが、そこが女の幽霊だ。無理もねえ。それに……」
話を半分聞きかけて、お豊は衝《つ》っと起ちあがったかと思うと、彼女は格子《こうし》にならんだ台所から跣足《はだし》で飛び出して、井戸端の方へ駈けて行こうとするのを、半七は追い掛けてうしろから抱きすくめた。
「いけねえ。いけねえ。幽霊が死んだら蘇生《いきかえ》ってしまうばかりだ。まあ、騒いじゃあいけねえ。おめえの為にならねえ」
泣き狂うお豊を無理に引き摺って、半七は再び家のなかへ連れ込んだ。
「親分さん。済みません。どうぞ殺して……殺してください」と、お豊はそこに泣き伏した。彼女は半七の身分を覚ったらしかった。
「もう判ったかね」と、半七はうなずいた。「あの掛地を持って来たのは長作だろう。ほかには何も持って来なかったかえ。羽織を持って来やしなかったか」
「持ってまいりました」と、お豊は泣きながら云った。
「先月の二十四日の晩だろうね」
「左様でございます」
「もう斯《こ》うなったらしようがねえ。何もかもぶち撒《ま》けて云って貰おうじゃあねえか。長作はあの掛地と羽織を持って来て、なんと云ったえ」
「博奕に勝って、その質《かた》に取って来たと云いました。掛地や泥だらけの羽織はすこしおかしいと思いましたけれど、羽織の泥は干して揉み落して、そのままにしまっておきました」
「その羽織はまだあるかえ」
「いいえ、もう質《しち》に入れてしまいました」
「おめえのお父っさんも、その晩に森川宿の方へ行ったろう。なんの用で行ったんだ」
「内の人を迎えに行ったのでございます」と、お豊は云った。「藤代様のお屋敷の大部屋で毎日賭場が開けるもんですから、長作はその方へばかり入り浸《びた》っていて、仕事にはちっとも出ません。お父っさんも心配して、今夜はおれが行って引っ張って来ると云って、雪のふる中を出て行きますと、途中で行き違いになったと見えまして、長作は濡れて帰って来ました。それから一時《いっとき》ほども経ってからお父っさんも帰って来ました。門口《かどぐち》から長作はもう帰ったかと声をかけましたから、もう帰りましたと返事をしますと、そのまま自分の家へ帰ってしまいました」
「それから長作はどうした」
「あくる朝は仕事に出ると云って家を出て、やっぱりいつもの博奕場へはいり込んだようでございました。それからはちっとも家に落ち着かないで……。それまではどんなに夜が更《ふ》けても、きっと家へ帰って来たんですが、その後はどこを泊まりあるいているのですか、三日も四日もまるで帰らないことがあるもんですから、わたくしも心配でたまりません。といって、お父っさんの耳へ入れますと、また余計な苦労をかけなければなりませんから、わたくしがそっと藤代様のお屋敷に迎いに行きましたが、夜は御門が厳重に閉め切ってあるので、女なんぞは入れてくれません。どうしようかと思って、松円寺の塀の外に立っていて、いっそもうあの銀杏に首でも縊《くく》って[#「って」は底本では「つて」]しまおうかと考えていますと、そこへ二人連れの男が通りかかったもんですから、あわてて其処を逃げてしまいました」
「長作はそれぎり帰らねえのか」
「それから二、三度帰りました」
「掛地や羽織のほかに金を見せたことはねえか」
「掛
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