江戸のまん中に化け物なんぞのいる筈がねえ。わたしなら直ぐに取っ捉まえてその化けの皮を剥いでやるものを、ほんとうに惜しいことをしましたよ。ははははは」
お豊は黙って聴いていた。
「勿論わたしが見た訳じゃあねえんだから、間違ったら、ごめんなさいよ」と、半七はお豊の顔をのぞきながら云った。「ねえ、おかみさん。その幽霊というのはお前さんじゃありませんでしたかえ」
「冗談ばっかり」と、お豊はさびしく笑っていた。「どうせわたしのようなものはお化けとしか見えませんからね」
「いや、冗談でねえ、ほんとうのことだ。その幽霊は藤代の屋敷へ自分の亭主を迎えに行ったんだろうと思う。惚れた亭主は博奕《ばくち》ばかり打っている。それが因《もと》で父っさんの機嫌が悪い。両方のなかに挟まって苦労するのは、可哀そうにその幽霊ばかりだ。ねえ、おかみさん。その幽霊が真っ蒼な顔をしているのも無理はねえ。かんがえると実に可哀そうだ。わたしも察していますよ」
お豊は急にうつむいて、前垂れの端《はし》をひねっていたが、濃い睫毛《まつげ》のうるんでいるらしいのが半七の眼についた。
「そりゃあほんとうに察していますよ」と、半七はし
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