もそれが稲川家の宝物であるらしく思われてならなかった。しかもそれが贋物《にせもの》でない、たしかに狩野探幽斎の筆であると重兵衛は鑑定した。よそながら其の品の出所《しゅっしょ》をたずねると、牛込|赤城下《あかぎした》のある大身《たいしん》の屋敷から内密の払いものであるが、重代の品を手放したなどということが世間にきこえては迷惑であるから、かならず出所を洩らしてくれるなと頼まれているので、その屋敷の名を明らさまに云うことは出来ないとのことであった。
その以上に詮議のしようもないので、重兵衛はそのまま帰って来たが、なにぶんにも腑に落ちないので、とりあえず半七の処へ報《し》らせてよこしたのであった。主人の話によって考えると、どうしてもそれは稲川家の品である。図柄も表装も箱書も寸分違わないと忠三郎も云った。
「いよいよ不思議ですね」と、半七も眉をよせた。「その三島屋というのはどんな家《うち》ですえ」
三島屋は古い暖簾《のれん》で、内証も裕福であるように聞いていると、忠三郎は説明した。主人又左衛門は茶の心得があるので、河内屋とも多年懇意にしているが、これまで別に悪い噂を聞いたこともない。まさか三島屋一家の者がそんな悪事を働く筈もないから、おそらく不正の品とは知らずに何処からか買い入れたものであろうと彼は云った。
「そうかも知れませんね」と、半七はしばらく考えていた。「どっちにしても、それが確かに稲川の屋敷の品だかどうだか、それをよく詮議して置かなければなりませんよ。さもないと、物が間違いますからね。おまえさんがみれば間違いもなかろうが、念のために稲川の屋敷の御用人を一緒に連れて行ったらどうです。二人がみれば間違いはありますまい。だが、最初から表向きにそんなことを云って、万一違っていた時には、おたがいに気まずい思いをしなければなりませんからね」
「ごもっともでございます。主人も、もし間違った時に困ると心配して居りました」
「それだから、おまえさんが御用人を連れて行って、うまく話し込むんですね。このお方は書画が大変にお好きで、こちらに探幽の名作があるということを手前の主人から聞きまして、ぜひ一度拝見したいと申されるので、押し掛けながら御案内しましたとか何とか云えば、向うも大自慢だから喜んで見せるでしょう。もし又なんとか理窟を云って、飽くまでも見せるのを拒《こば》むようならばちっと
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