す」
「いや、そのような失礼があってはならぬ」と、式部はさえぎった。「おたずねのこと、お答えのこと、すべて拙者がうけたまわる。して、こなたの母御は当年何歳で、なんの年の御出生でござるかな」
「母は六十で、戌《いぬ》年の生まれでございます」と、半七は答えた。
「ふだんから何かの御持病でもござるか」
「別にこれということもございませんが、二、三年前から折りおりに癪《しゃく》に悩むことがございます」
「左様でござるか。では、これから御祈祷にかかられます」
 式部はうながすように行者の顔色をうかがうと、彼女は形をあらためて神前に向き直ろうとした。その時、半七は再び声をかけた。
「恐れながら申し上げます。この御祈祷におかかり下さる前に、わたくしの御奉納物を一度おあらためを願いたいと存じますが……」
「なんと云わるる」と、式部は少し眉をよせた。「こなたが奉納の品を一応あらためてみろと云われるか」
「どうぞお願い申します」
 行者はなんにも云わなかった。式部はすぐに起ちあがって、神前に一旦供えたかの白木の箱を取りおろしてしずかにその蓋《ふた》をあけると、かれの顔色がにわかに変った。半七は黙ってその顔色をうかがっていると、式部は案外におちついた声で云った。
「町人、これはなんでござる」
「御覧の通りでございます」
「どういうわけで、かようなものを持ってまいられた」と、式部は箱のなかの品を睨みながら云った。
 行者も横目にその箱をのぞいて、これもにわかに顔の色を変えた。傍にひかえている藤江も伸びあがって一と目みて、身をふるわせるように驚いたらしかった。半七が神前に奉納した箱のなかには、泥だらけの古草履が入れてあった。
「こなたの母には何か付き物がしているとか云うが、こなたにも付き物がしているらしい」と、式部の声はだんだんに尖って来た。「当座のいたずらか、但しは仔細あってのことか。いずれにしても怪《け》しからぬ儀、御神罰を蒙《こうむ》らぬうちに早くお起ちなさい」
「お叱りは重々恐れ入りました」と、半七はあざ笑った。「併しそこにおいでになる行者様は何もかも見透しの尊いお方だとうけたまわって居ります。それほどのお偉いお方がその箱のなかにどんな物がはいっているか、初めからお判りになりませんでしたろうか」
 式部もすこし返事に詰まっていると、半七は畳みかけて云った。
「その通り、どんなものでも
前へ 次へ
全18ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング