。
かれが奉納物を持参したときに、行者は久次郎の顔をつくづく眺めながら云った。
「はて因果はおそろしい。おふくろ様ばかりでなく、おまえにも同じ祟りが付きまとうています。その禍いの来たらぬうちに、早くお祓《はら》いをなされてはどうでございます」
あくまでかれを尊崇している久次郎に異存のあろう筈はなかった。かれはその日からすぐに祈祷をたのむことになったが、行者は一七日《いちしちにち》のあいだ日参《にっさん》しろと云った。久次郎は勿論その指図通りにした。初めの三日は昼のうちに通っていたが、四日目からは奥の一と間で秘密の祈祷をうけることになって、夜ふけを待って通っていた。しかし其の一七日を過ぎても、かれの祈祷は終らなかった。行者は更に一七日の参詣をつづけろというと、久次郎はやはりその指図にそむかなかった。かれは毎晩かかさず通いつづけていた。
行者を信仰している伊勢屋では、久次郎の日参を怪しまなかった。母のお豊はむしろ我が子をすすめて出してやるほどであったが、久次郎の参詣が初めの一七日が過ぎて更に二七日となり、又もや三七日となり、四七日とつづくようになったので、店の番頭どもは少し不安を感じて来た。おふくろの病気は唯一度の祈祷で平癒したのに、息子の病気、しかも差し当ってはどうということもない病気が、幾日の祈祷を頼んでも去らないのはどういうわけであろう。殊に夜更けを待って秘密の祈祷をつづけるというのも少しおかしいと、一の番頭の重兵衛が、それとなくお豊に注意したが、かの行者を固く信用しているお豊は絶対に耳を藉《か》さなかった。伊勢屋の主人は五年まえに世を去って、今では後家《ごけ》のお豊がひとり息子の後見《こうけん》役でこの大きな店を踏まえているのであるから、彼女が飽くまで行者を信仰して、わが子の祈祷になんの故障もない限りは、ほかの奉公人どもが強《し》いてそれをさえぎるわけには行かなかった。久次郎はその後も相変らず通いつづけていた。その奉納物は親子二人きりの相談で、店の者共にはよく判らないのであるが、ひと月あまりのあいだに二、三百両を運び込んだらしいと番頭どもは睨んでいた。
そうしているうちに、久次郎の様子がだんだんおかしくなって、この頃はちっとも落ち着かないようになって来た。店に坐っていたかと思うと、不意にどこへかふらふらと出て行ってしまうのである。彼はなんだか魂のぬけた人
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