こうして何事もなく過ぎているうちに、思いもよらない事件が出来《しゅったい》して、檀家は勿論、世間の人々をもおどろかしたのである。事件の起る前夜、住職の英善は、根岸の伊賀屋という道具屋の仏事にまねかれて、小坊主の英俊を連れて出たが、四ツ(午後十時)少し前に英俊だけが帰って来た。師匠は途中でこれからほかへ廻るから、おまえは先へ帰れといったので、小坊主はそのまま別れて来たのであった。
 夜なかになっても住職は戻らないので、寺でも心配した。伴助は提灯を持って幾たびか途中まで迎いに出て行ったが、英善の姿はみえなかった。こうして不安の一夜を送った後、この寺から二町ほど距《はな》れた無総寺という寺のまえの大きい溝《どぶ》のなかに、英善によく似た者のすがたが発見された。それはあくる朝のことで、いつも早起きの無総寺の寺男が見つけ出したのであるが、溝にはまり込んで死んでいたのは、人間ではなかった。それは法衣《ころも》や袈裟《けさ》をつけている狐であった。寺男はびっくりして、ほかの人々にも報告したので、たちまちこのあたりの大騒ぎとなった。
 袈裟や法衣をつけている者の正体はたしかに年|経《ふ》る狐に相違
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