浄瑠璃が初めて世に出た年のことですから、ずいぶん遠い昔のことですよ」
「御仕置例書」にはいずれも国名と村名とを記《しる》してあるだけで、今日のように郡名を記してないので、ちょっと調べるのに面倒であるばかりでなく、その当時とは村の名の変っているのもあるので、その方角を見定めるのはいよいよ困難であるが、ともかくも「御仕置例書」には下総国《しもうさのくに》新石下村《しんいししたむら》とある。寛延元年九月十三日夜の亥《い》の刻(午後十時)から夜明けまでのあいだに、五人の若い男が即死、二人が半死半生という事件が出来《しゅったい》したので、村中は大騒ぎになった。
場所は庄屋茂右衛門が持ちの猪番《ししばん》小屋で、そこには下男の七助というのが住んでいた。猪番小屋といえば何処でも小さい狭いものであるが、これはともかくも人の住めるだけには出来ていたらしく、番人の七助は夜も昼もそこを自分の家にして、昼は野良《のら》かせぎの手伝いに日を暮らし、夜はそこで猪の番をしていた。七助はまだ十九の若い者であるので、村の若い者たちはそこをいい遊び場所にして、毎晩のように寄りあつまって馬鹿話に夜をふかすばかりか、悪い
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