すよ」
「むむ、そうか」
 長次郎はうなずきながらそっと店の先に出て、再び彼のうしろ姿を見送ると、善吉はなにか思案に耽っているらしく、俯向き勝ちにぼんやりと歩いて行った。うしろ姿から想像すると、かれはまだ二十四五の若い者であるらしかった。寺男の銀蔵おやじの話によると、かれは弟の横死を狐の仕業と信じていないという。――その話を長次郎は今更のように思い出した。
「おかみさん。どうもいつまでもおしゃべりしてしまった。だが、まあ気をつけねえ。お前のような年増盛りは、いつ小女郎に魅《み》こまれるかも知れねえ」
「ほほ、忌《いや》でございますよ。毎度ありがとうございました」
 茶代を置いて、長次郎はそこを出た。この村にはほかに知っている家もないので、彼はもう一度代官の屋敷へ引っ返して、宮坂のところで午飯を食わせて貰って、それから遠くもない隣り村へ出かけて行った。平左衛門の家の近所へ行って、よそながら平太郎の噂を聞くと、彼がこのごろ少し物狂わしくなったのは事実で、この月初めから二、三度も家を飛び出したことがある。世間の聞えをはばかって親達はそれを秘密にしているが、自分の妻にと思い込んだ女が突然に悲惨
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