煙草盆と駄菓子の盆とを前に置いて、長次郎は温《ぬる》い番茶を一杯のんだ。店の前には大きい榎《えのき》が目じるしのように突っ立って、おあつらえ向きの日よけになっていた。時候の挨拶や、この出来秋《できあき》の噂などが済んで、長次郎はやがてこんなことを云い出した。
「ねえ、おかみさん。御用でおれは時々こっちへも廻って来るが、もともとこの村の落穂を拾っている雀でねえから、土地の様子はあんまりよく知らねえ。なんでも先月の十五夜の晩に、おこよといういい娘《こ》が川へ陥《はま》って死んだというじゃあねえか」
「ほんとうにあの娘は可哀そうなことをしましたよ」と、女房は俄かに眼をしばたいた。「村では評判の容貌《きりょう》好しで、おとなしい孝行者でしたが、十五夜の晩に芒《すすき》を取りに出たばっかりに、あんなことになってしまって……」
「十五夜は朝から判り切っているのに、日が暮れてから芒を取りに出るということもねえじゃねえか」と、長次郎はあざわらうように云った。「あの娘は幾つだったね」
「十九の厄年です」
「十九といえばもう子供じゃあねえ。お月さまの顔を拝んでから芒を取りに行くほどうっかり[#「うっかり」
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