匹の犬を教えて、自分の仕事に出る時にはかならず一匹ずつを連れてゆくことにした。昼では人目に立つので、かれは日の暮れるのを待って犬を連れ出すと、犬は教えられた通りに、主人のあとを追って行った。それも人の注意をひかないように、主人より、二、三間ぐらいは距《はな》れてゆくのを例としていた。熊や狼をあつかっていたお紺に取っては、犬を狎《な》らすのは容易であった。二匹の犬はなんでも素直に主人の命令をきいた。
 彼女はこういうことに一種の興味をもっているので、更に自分の顔を怪しくみせることを考えた。それは自分が仕事をする場合に、ひとを嚇《おど》すためでもあった。万一取り押さえられた場合に狂女を粧って巧みに逃がれようとする用心のためでもあった。彼女は怪しく化粧した顔を手拭につつんで、わざと跣足であるいた。そうして、彼女のゆくところには、必ず一匹の獰猛な犬が影の形にしたがうが如くに付いて行った。
 鼻緒屋のお捨はそれに嚇されたのであったが、時刻は宵で、しかも往来のまん中であったので、彼女は単にその弱い魂をおびやかされたに過ぎなかったが、酒屋のお伝は若い命をうしなったのである。お紺が酒屋の裏口をうかがっ
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