上にうず巻いているような五、六本の黒い毛を透かすように眺めていた。
「まだそればかりじゃあねえ。垣根の近所には四足《よつあし》のあとが付いていた。と云ったら、犬や猫のようなものは幾らも其処らにうろついているというだろうが、おれはちっと思い当ることがあるから、こうして大事に持って来たんだ」
半七は彼の耳に口をよせてささやくと、庄太は幾たびかうなずいた。
「そうかも知れませんね。ところで、鬼娘の方はなんでしょう。やっぱり気ちがいでしょうかね」
「気ちがいかなあ」と、半七は相手をじらすように笑っていた。
「だって、おまえさん。猫じゃ猫じゃでも踊りゃあしめえし、手拭をかぶって、浴衣を着て、跣足でそこらをうろうろしているところは、どうしても正気の人間の所作《しょさ》じゃありませんぜ。ねえ、そうでしょう」と、庄太は少し口を尖らせた。
「それもそうだが、まあ聴け」
半七は再び彼にささやくと、庄太はだんだんに顔を崩して笑い出した。
「なるほど、なるほど、いや、どうも恐れ入りました。きっとそれです、それに相違ありませんよ」
「ところで、それについて何か心あたりはねえかな」
庄太は更に顔をしかめて考えていたが、やがて両手をぽんと打った。
「あります、あります」
「あるかえ」
「もし、親分。こういうお誂え向きのがありますぜ」
今度は庄太がささやくと、半七はほほえんだ。
「もう考えることはねえ。それだ、それだ」
二人は手筈をしめし合わせて一旦別れた。半七はそれから小梅の知己《しりあい》をたずねて、夕七ツ(午後四時)を過ぎた頃に再び庄太の家をたずねると、となりの葬式の時刻はもう近づいて露路のなかは混雑していた。ふだんから評判のよくない母子ではあったが、それでも近所の義理があるのと、もう一つにはお作の横死《おうし》が人々の同情をひいたとみえて、見送り人は案外に多いらしかった。庄太の家では女房が子供を連れて会葬することにして、庄太は半七の来るのを待っていた。
「もう帰ったのか」
云いながら半七は家《うち》へはいると、庄太は待ち兼ねたように出て来て、すぐに半七を招じ入れた。
「さっき帰って来て、待っていましたよ」と、庄太は誇るように云った。「まったく親分の眼は高けえ、十《とお》に九つは間違いなしですよ。大抵のことはもう判りました」
「そりゃあお手柄だ。やっぱりおれの鑑定通りだな」
「そうです、そうです」
かれが摺り寄ってささやくのを、半七は一々うなずきながら聴いていた。
「そうすると、さっきの約束通りにするかな」
「そうするよりほかにしようがありますまい」と、庄太も云った。「なにしろ確かな証拠を握らないじゃあ、あとが面倒ですからね」
「まったくだ。あとで世話を焼かされるのも困るからな。じゃあ、仕方がねえ。いよいよ一と汗かくかな」
「それほどのこともありますめえ」
「そうでねえ。むこうには怖ろしい味方が付いているからな」と、半七は笑った。「だが、まだ早い。隣りのとむらいの門《かど》送りでも済ませてから、まあ、ゆっくり出掛けるとしようぜ」
「ええ、暗くなるにはまだ間《ま》がありますからね。腹ごしらえでもして、ゆっくり出かけましょう」
「ちげえねえ。戦場だからな」
「鰻でも取りますか」
「それがよかろう」
鰻の蒲焼を註文して、二人は早い夕飯を済ませると、七月の日もかたむいて来た。露路のなかはひとしきり騒がしくなって、となりの送葬《とむらい》もとどこおりなく出てしまうと、半七ひとりを残して庄太は再びどこへか忙がしそうに出て行った。あたりはだんだんに薄暗くなって、どこからとも無しに藪蚊のうなり声が湧き出して来たので、半七は舌打ちした。
「庄太の奴め、そそくさして、蚊いぶしを忘れて出て行きゃあがった。とてもやりきれねえ。そこらに道具があるだろう」
半七は台所へ行って、土焼きの豚をさがし出して来た。更にそこらを捜しまわって、ようやく蚊いぶしの支度をしたところへ、一人の男がたずねて来た。
「庄太さん。内ですかえ」
「あい、あい」と、半七はすぐに起って出た。「おまえさんは庄太にたのまれて来なすったんじゃあねえかね。わたしは半七ですよ」
「親分さんですか」と、男は会釈《えしゃく》した。「さっき庄太さんから話があったもんですから」
「どうも御苦労さん。おまえさんに少し手を貸して貰わなけりゃあならねえことが出来たんでね。まあ、おかけなせえ」
この男にも何かささやくと、かれは笑いながらうなずいた。
「大丈夫かね」と、半七は念を押した。
「まあ、うまくやりましょう」
「ここにいて藪蚊に責められているのも知恵がねえ。おまえさんが丁度来たから、もうそろそろ出かけるとしようか」
形ばかりに戸をひき立てて、内は留守だからと隣りの人にことわって、半七はかの男と共に露路を出る
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング