る》にも歯齦《はぐき》にも紅を濃く染めて、大きい口を真っ紅にみせていた。とんだ芝居をする奴だと、かれは半七に笑われた。
 自身番へ引っ立てられた時、かれは狂女を粧《よそお》ってその場を逃がれる積りであるらしかったが、あとから彼《か》の男と庄太とが大きい黒犬の死骸を引き摺って来たので、かれの狂言は結局不成功に終った。
 彼女はお紺という獣《けもの》つかいであった。子供のときから熊や狼をつかうことを習いおぼえて、以前は両国の観世物小屋に出ていたこともあった。方々の寺内で縁日の小屋掛け興行に出たこともあった。近在や近国の祭礼などに出稼ぎに行ったこともあった。本職の芸当はなかなか上手であったが、かれはいろいろの悪い癖をもっていた。女に似あわない大酒は、こういう商売の者として大目《おおめ》にも見られたのであるが、そのほかに誰にもゆるされないのは、かれの手癖の悪いことであった。それは殆ど天性ともいうべきで、お紺は手あたり次第に楽屋じゅうのものを何でも盗んだ。金は勿論であるが、櫛でもかんざしでも、煙草入れでも、眼に触れるものは何でも逃がさなかった。それも最初のうちはあやまって堪忍されたのであるが、あまりにそれが度重なるので、ほかの芸人がすべて彼女と一座するのを嫌うようになった。結局かれは香具師《やし》のなかまから構《かま》われて、どこの小屋へも出ることが出来なくなった。
 お紺はよんどころなく商売をやめて、そこらを流れ渡っているうちに、吉原の或る女郎屋の妓夫《ぎゆう》と一緒になって、よし原の堤下《どてした》の孔雀長屋《くじゃくながや》に世帯を持つことになった。亭主も元より身持のよくない男であったが、お紺は亭主を持っても大酒をやめないで、その内証はひどく苦しかった。夏が過ぎても、かれは白地一枚のほかには洗い替えの浴衣すら持たなかった。近所となりの者もお紺の家とは附き合わないようになった。
 こうなると、かれの悪い癖はいよいよ増長して来た。お紺は方々の店先で手あたり次第に品物を掻っさらった。しかも或るところでそれを見つけられて、店の者に袋叩きにして追い払われたことがあったので、その苦《にが》い経験から彼女は一種の味方を作ることを考え出した。彼女はそこらにさまよっている野良犬のなかで、性質の獰猛《どうもう》らしいのを二匹も拾いあげた。暴《あら》い獣を仕込むのに馴れている彼女は、巧みに二
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