たようだ」
「そりゃあ此の通りの山の中ですもの。それにきょうは霧が深かったから、あしたは降るかも知れない」
「山越しに降られちゃあ難儀だ。お天気になるように妙義様へ祈ってくれ」
「いやさ」と、おこんも笑った。「山越しの出来ないように、あしたは抜けるほど降るがいい。妙義の山の女に吸い付かれたら、山蛭よりも怖ろしいんだから、そのつもりで腰を据えていることさ。ねえ、そうおしなさいよ」
「いや、そうは行かねえ。少し急ぎの道中だから」
「急ぎの道中なら坂本から碓氷《うすい》へかかるのが順だのに、わざわざ裏道へかかって妙義の山越しをするお客様だもの、一日や二日はどうでもいい」と、おこんは意味ありげに又笑った。
 男はもう黙ってしまって、山風にゆれる行燈の火にその蒼白い顔をそむけながら、冷えた猪口《ちょこ》をちびりちびり飲んでいた。
「なにを考えているの、おまえさん」と、おこんは膝をすり寄せた。「あたしはおまえさんが可愛いから内証で教えてあげる。さっきおまえさんがこの暖簾《のれん》をくぐると、少しあとからはいって来た二人連れがあるのを知っているかえ」
 男の顔はいよいよ蒼くなった。
「その二人はどう
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