向ってこういう相談を持ちかけたんです。
わたしも出来るだけはお前の世話をしてあげたいが、今の身分ではなかなか思うようには行かない。就いてはお前の方でこの弁天様をもっと流行らせてくれまいか。信者がふえれば賽銭もふえる。寄進もふえる。したがってお前の為にもなるというわけであるから、その積りで一つ芝居を打ってくれということになったのです。その芝居というのは、与次郎が泥坊の振りをして弁天堂へ忍び込んで、賽銭や仏具をぬすみ出そうとすると、からだが竦《すく》んで動かれなくなる。そこへお国が来て騒ぎ立てる。近所の者も集まって来る。いい頃を見計らって善昌が帰って来て、これも弁天様の御罰だと云って何かの御祈祷をすると、与次郎のからだが元の通りになる。ほかの者が縛って突き出そうと云っても善昌がなだめて免《ゆる》してやる。さあ、こうなれば諸人の信仰は愈々増して、弁天様の霊験あらたかであるという評判がいよいよ高くなる。信者が俄かにふえる。収入《みいり》も多くなる。
この相談を持ちかけられて、与次郎という奴は馬鹿か、ずうずうしいのか、それは面白いと受け合って、とうとうその芝居を実地にやってみることになったんです。そこで筋書の通りに運んで行って、賽銭を袂に入れる。金目になりそうな仏具を背負い出すという段になると、留守のはずの善昌が奥から出て来て、からだが竦むというだけではいけない、これを食って苦しむ真似をしてくれと云って、仏前に供えてある菓子と餅とをとって与次郎の口へ押し込んだので、なに心なくむしゃむしゃ食うと、さあ大変、与次郎はほんとうに苦しみ出して、口や鼻から血を吐くという騒ぎ。お国も奥で様子を窺っていて、与次郎がもう虫の息になった頃をみすまして、善昌は裏からそっと出て行く。お国は表口へ廻って来て、今初めてそれを見つけたように騒ぎ立てる。与次郎は一杯食わされて、さぞ口惜《くや》しかったでしょうが、もう口を利く元気もない。餅と菓子とを指さしただけで、苦しみ死《じに》に死んでしまったのです。遠国の者ではあり、下谷あたりの木賃宿《きちんやど》にころがっている宿無し同様の人間ですから、死ねば死に損で誰も詮議する者もない。心柄とは云いながら、ずいぶん可哀そうな終りでした。
禍いを転じて福となすとかいうのは此の事でしょう。善昌の方ではこの芝居が大あたりで、邪魔な与次郎を殺《やす》めてしまった上、
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