》すわけにも行かないので、三度の食物は寮番が運んでいた。いかに残酷な六蔵夫婦もこれはあまり心持がいい役目でないのと、お糸と由兵衛とがこの寮へ来て密会する場合に、何かの給仕をするものが無くては不便であるのとで、若い女中を新らしく抱えることになったが、迂濶なものを引き入れては秘密の発覚する虞《おそ》れがあるので、江戸馴れないぼんやりした女を選んだ末に、かのお通を抱える事になったのである。そうして、だんだん使っていると、お通は見掛けよりもしっかりしていて、土蔵のなかの秘密を薄々感付いたらしいので、六蔵もすこし困った。さりとて迂濶に暇を出すのは却って危険なので、その口止め足どめの手段として又もや良次郎を誘い出し、色仕掛けで若い田舎娘を手|懐《なず》けさせようと企てたのであるが、いくらおとなしい良次郎でもたびたび他人《ひと》のあやつり人形になることを承知しなかった。殊にこの頃は自分の前非をしきりに後悔しているので、彼はどうしても素直にそれを承知しないばかりか、却ってお通の味方になって、その手紙を神田の姉のところへ届けてやったので、それが大事を洩らす端緒になってしまった。
 それを知らない六蔵は又ぞろ彼を近所の料理屋へ連れ込んで、半分は強面《こわもて》でおどしているところを、あたかも半七に見つけられたのであった。入墨者の彼はふところにのんでいた匕首《あいくち》をぬく間もなしに押えられた。はじめはかれこれ強情を張っていたが、土蔵のなかから本人のおきわが現われたのと、良次郎が正直に白状したので、六蔵ももう恐れ入るよりほかはなかった。
 お糸は吟味中に牢死した。六蔵は入墨の前科者だけに罪が重く、悪人と共謀して主人の娘を牢獄同様のところに押し籠めて置いたというので死罪になった。張本人の由兵衛は無論に重罪であった。後家とはいいながら主人の妻と不義をかさね、あまつさえ家督相続の娘を押し籠めて其の身代を横領しようと巧んだのであるから、引き廻しの上で獄門にさらされた。良次郎も相当の処刑を受くべきであったが、主人の命でよんどころ[#「よんどころ」は底本では「よんどろ」] なしに引き受けたというのと、かれは日頃孝心の深い者であるというのとで、上《かみ》にも特別の憐愍《れんびん》を加えられて、単にきびしく叱り置くというだけで家主に引き渡された。
 向島の寮は取り毀された。これは上《かみ》からの命令ではなかったが、こういう事件を仕出かした以上、三島に向ってその破却を勧告するのが親類の義務であった。秘密をつつんでいた土蔵も無論に取り崩されたが、お通が見たという大蛇は姿を現わさなかった。おきわもそんな蛇を見たことはないと云った。霊ある蛇はわざわいを未然に察してどこかへ立ち去ってしまったのか、あるいはお通のおびえた眼に一種のまぼろしが映ったのか、それはいつまでも疑問として残されていた。



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
1999年8月3日公開
2009年9月15日修正
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