お徳にはお通《つう》という妹がございまして、これも今年十七になりましたので、この正月から奉公に出ました。桂庵《けいあん》は外神田の相模屋という家でございます。江戸へ出ますと、まずわたくしのところの姉を頼って来まして、その相模屋へは姉が連れて行ったのでございました。しますと、その相模屋の申しますには、丁度ここにいい奉公口がある。江戸者ではいけない、なんでも親許《おやもと》は江戸から五里七里は離れている者でなければいけない。年が若くて、寡言《むくち》で正直なものに限る。それから一つは一年の出代りで無暗《むやみ》に動くものでは困る。どうしても三年以上は長年《ちょうねん》するという約束をしてくれなければ困る。その代りに夏冬の仕着せはこっちで為《し》てやって、年に三両の給金をやる」
「ふむう」と、半七は眉をよせた。
この時代の下女奉公として、年に三両の給金は法外の相場である。三両一人|扶持《ぶち》を出せば、旗本屋敷で立派な侍が召し抱えられる世のなかに、ぽっと出の若い下女に一年三両の給金を払うというのは、なにか仔細がなければならないと彼は不思議に思っていると、平兵衛はつづけて話した。
「お徳はさすがに江戸馴れて居りますので、あんまり話の旨いのを不安に思いまして、どうしようかと二の足を踏んで居りますと、妹の方は年が若いのと、この頃の田舎者はなかなか慾張って居りますので、三両の給金というのに眼が眩《く》れて、前後のかんがえも無しに是非そこへやってくれと強請《せび》りますので、お徳もとうとう我《が》を折って、当人の云うなり次第に奉公させることになりました。その奉公先は向島の奥のさびしい所だそうでございます。お徳が帰ってきて其の話をしましたので、家では少しおかしく思いましたが、向うが寂しいところで若い奉公人などは辛抱することが出来ないので、よんどころなしに高い給金を払うのだろう位にかんがえて、まずそのままになって居りますと、お通が目見得《めみえ》に行ったぎりで其の後なんの沙汰もないので、姉も心配して相模屋へ問い合わせに行きますと、目見得もとどこおりなく済んで、主人の方でも大変気に入って、すぐに証文をすることになったということで、妹の手紙をとどけてくれました。それは確かにお通の直筆《じきひつ》で、目見得が済んで住みつく事になったから安心してくれ。奉公先はある大家の寮で、広い家に五十ぐら
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