て、柳橋に芸妓屋を開いていることが判った。甥の長吉はやはり河童になって、両国の観世物小屋に晒《さら》されていることが判った。長平は甥にも逢った。偶然の機会から新兵衛にも出逢った。
新兵衛はもう生まれ変ったような善人になっているので、むかしの友達の弟に逢ってしきりに過去の罪を謝した。自分たちが手にかけた大尽一家の菩提《ぼだい》を弔うばかりでなく、長左衛門が仕置に逢ったのは二月四日で、その命日に毎月かならず放し鰻の供養を怠らないと云った。彼はある寺から長左衛門の戒名を貰って来て、仏壇に祀《まつ》ってあることも話した。長平もむかしとは人間が違っているので、悔い改めているこの善人を執念ぶかく責めることも出来なくなった。かれは新兵衛の罪をゆるすと云った。新兵衛はよろこんで、御報捨のしるしだと云って彼に二十両の金を贈った。
その金が二人の禍いであった。久し振りで二十両の大金を受け取った六十六部は、その晩すぐに服装《みなり》をこしらえて吉原へ遊びに行った。それが口火《くちび》になって彼の殊勝らしい性根はだんだんに溶けてしまった。六十六部は再び昔の長平に立ちかえって、新兵衛のところへ度々無心に行った。しまいには金の無心ばかりでなく、彼は新兵衛の貰い娘《こ》のお照の美しいのを見て、飛んでもない無心までも云い出すようになった。相手の飽くことのない誅求《ちゅうきゅう》には、新兵衛もさすがにもう堪えられなくなって、終には手きびしくそれを拒絶すると、長平はいよいよ羊の皮裘《かわごろも》をぬいで狼の本性をあらわした。彼は甥の河童をそそのかして親のかたきを討たせたのであった。
「これは河童の長吉の白状と、長平の白状とをつきまぜたお話で、長吉は叔父の手さきに使われて、ただ一途に親父のかたき討の料簡でやった仕事なんです」と、半七老人は説明した。「つまり新兵衛の方はすっかり善人になり切っていたんですが、長平の魂はまだほんとうの善人になり切らないもんですから、すぐにあと戻りをして、とうとうこんな事件を出来《しゅったい》させてしまったんですよ」
「長平は勿論つかまったんですね」と、わたしは訊いた。
「河童の白状で大抵見当が付きましたから、それからお照の家の近所に毎晩張り込んでいますと、新兵衛の初七日《しょなのか》が済んだ明くる晩に、案の定《じょう》その長平が短刀を呑んで押し込んで来て、どうする積りかお浪を嚇かしているところを、すぐに踏み込んで召捕りました。長平は無論に死罪でしたが、長吉の方はまだ子供でもあり、どこまでも親のかたきを討つつもりでやった仕事ですから、上《かみ》にも御憐愍《ごれんびん》の沙汰があって、遠島《えんとう》ということで落着《らくちゃく》しました。これが作り話だと、娘や芸妓や其の情夫の定次郎の方にもいろいろの疑いがかかって、面白い探偵小説が出来上がるんでしょうが、実録ではそう巧く行きませんよ。ははははは。ただちっとばかりわたくしの味噌をあげれば、はじめから芸妓や情夫の色っぽい方には眼もくれないで、なんでも善人の親父の方に因縁があるらしいと、その方ばかり睨み詰めていたことですよ。腕に入墨がはいっているくらいですから、新兵衛はその前にも悪いことをたくさんやっていたんでしょうが、折角善人に生まれ変ったものを可哀そうなことをしました。河童をほうり出した武士ですか、それはどこの人だか判りません。その人は向島で河童を退治したなどと一生の手柄話にしていたかも知れませんよ。まったくその頃の向島は今とはまるで違っていて、いつかもお話し申した通り、狸も出れば狐も出る、河獺《かわうそ》も出る、河童だって出そうな所でしたからね」
「蛇も出たんでしょう」
「蛇……。いや、謎をかけないでもいい。ついでにみんな話しますよ。しかしこの蛇の方の話は少しあいまいなところがあるんですね。まあ、そのつもりで聴いてください。場所は向島の寮で、当世の詞《ことば》でいえば、その秘密の扉《とびら》をわたくしが開いたというわけです」
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
1999年8月17日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング