ないが、今は決してそんな事はないとお浪は確かに云い切った。お父っさんが正直で、情けぶかい人であることは近所の人達がみんな能く知っている。月の四日にはきっと両国の橋番の小屋へ行って、放し鰻《うなぎ》をして帰るのを例としている。神まいりにも行く。寺詣りにもゆく。それで博奕は打たず、酒は飲まず、こうした稼業には似合わないくらいの堅気《かたぎ》な結構人である。もしも家のお父っさんを怨む人があれば、それは外道《げどう》の逆恨みか、但しは物の間違いでなければならない。しかし今度の殺され方を見ると、どうしても物取りではない、意趣斬りであるらしい。それが自分にはわからないと彼女は云った。
「それほど結構な人間なら、土地にいられねえような不義理をした訳もあるめえに、折角売れ出した娘を無理に引き摺って、なぜ草深いところへ引っ込む気になったのか。どうしてもおめえ達には心当りがねえんだね」
「どうも判りません」と、お浪はやはり頭《かぶり》をふった。「ですけれども、たった一度こんな事があったそうです。あたしが見た訳じゃありませんけれども、お滝の話には何でも先月の初め頃に、もう日の暮れかかる時分に一人の六部が家の
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