次郎はゆうべから帰らねえか」
半七は腕を拱《く》んだ。どういう仔細があるか知らないが、おやじの新兵衛は土地を売って他国へ行こうという。娘のお照は江戸を離れるのが忌《いや》なのと、もう一つには情夫《おとこ》と別れるのが辛いのとで、どうしても行かないと駄々をこねる。親子喧嘩がたびたび続く。その挙げ句に新兵衛が何者にか寝込みを襲われて殺された。こう煎じ詰めてくると男と女とが共謀か、それとも男ひとりの料簡か、どっちにしてもその下手人《げしゅにん》はかの定次郎らしく思われるのが、誰の眼にも映る暗い影であった。それを正直に白状しないために、お照は番屋に止められたのであろう。半七もその以上には、差し当って目串のさしようがなかった。
唯ここに一つの疑問として残っているのは、なぜ彼《か》の新兵衛が住み馴れた柳橋の土地を立ち退いて、沼津とか駿府とかの遠い国へ引っ込もうというのか。半七はその仔細を知りたかった。
二
「おめえは一つ家《うち》にいるんだから、何もかも残らず知っている筈だが、お前のところの親父《ちゃん》は人から怨まれるような覚えがあるかえ」と、半七はまた訊いた。
むかしは知ら
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