でもかまわないから殺してやりたいような気になったんだそうです。で、根が猟師ですから鉄砲を打つことも知っている。槍を使うことも知っているので、そこらの藪から槍を伐り出して来て、くらやみで無闇に往来の人間を突いてあるいたんです。まったく猪や猿を突く料簡で、相手嫌わずに突きまくったんだから堪まりません。考えてもぞっ[#「ぞっ」に傍点]とします。そうして、いい加減に江戸じゅうをあらし歩いたのと、さすがに故郷が恋しくなったのとで、その年の秋ごろに国へ逃げて帰って、何食わぬ顔をして暮らしていたんです。勿論、そんなことは他人《ひと》にうっかりしゃべられないんですが、それでも酒に酔った時などには、囲炉裏《いろり》のそばで弟に話したことがあるので、作兵衛はそれをよく知っていたんです。
 それから二十年経つうちに、兄の作右衛門はある年の冬、雪にすべって深い谷底へころげ落ちて、その死骸も見えなくなってしまったといいます。あとは弟の作兵衛ひとりで、女房も持たずに暮らしていると、これもなにかの商売用で初めて江戸へ出て来ることになったんです。それが文政八年の五月頃で、若い時から兄貴のおそろしい話を聴かされているので、自分は勿論おとなしく帰る積りであったところが、扨《さて》いよいよ江戸へ出てみると土地が賑やかなのと、眼に見る物がみんな綺麗なのとで、なんだか酔ったような心持になって、これもむらむらと気が変になって、とうとう兄貴の二代目になってしまったんです。で、五月と六月のふた月はやはり竹槍を担《かつ》ぎ歩いていたんですが、さすがに悪いことだと気がついて、怱々に故郷へ逃げて帰りました。それでおとなしくしていれば、兄貴同様に無事だったんでしょうが、山へはいって猪や猿を突くたびに、なんだか江戸のことが思い出されて、とうとう堪え切れなくなって其の年の九月に又ぶらりと出て来ました。江戸の人間こそ飛んだ災難です。それでもいよいよ運がつきて、七兵衛に召し捕られてしまったんです。今までは誰も侍や浪人ばかりに眼をつけていたんですが、初めて竹槍ということを見付けだしたのが七兵衛の手柄でしょう。そのあいだに黒猫というお景物が付いたので、事がすこし面倒になりましたが、むかしの剣術使いなどのやりそうな悪戯《いたずら》です。はははははは。作兵衛は無論引き廻しの上で磔刑《はりつけ》になりました」
「その兄弟は猟師でしょう」と、わたしは又訊いた。「江戸にいる間はいつもどうして食っていたんです」
「それが又不思議ですよ」と、老人は説明した。「兄貴も弟も博奕がうまいんです。甲州の山奥から出て来た猿のような奴だと思って、馬鹿にしてかかると皆あべこべに巻き上げられてしまうんです。勿論、小ばくちですから幾らの物でもありますまいけれども、どっちもひどく約《つま》しい人間で、木賃宿にごろごろして、三度の飯さえとどこおりなく食っていればいいという風でしたから、江戸に暮らしていても幾らもかかりゃしません。そうして、暗い晩になると竹槍をかついであるく。実に乱暴な奴らで、兄弟揃ってそんな人間が出来たというのは、殺生《せっしょう》の報いだろうなんて、その頃の人達は専ら評判していたそうですが、どんなものですかね。何かそういう気ちがいじみた血筋を引いているのか、それともふだんから熊や狼を相手にしているので、自然にそんな殺伐な人間になったのか。さびしい山奥から急に華やかな江戸のまん中へほうり出されたもので、なんだか気がおかしくなったのか。今の世の中でしたら、いろいろの学者たちがよく説明してくれたんでしょうけれど、その時代のことですから、大抵の人は殺生の報いだとか因果だとか、すぐにきめてしまったようです」



底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
   1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:菅野朋子
1999年7月27日公開
2004年2月29日修正
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