てしまったんです。山の手には武家屋敷が多いせいか、そんな噂はあまりきこえませんで、主《おも》に下町《したまち》をあらして歩いたんですが、なにしろ物騒ですから暗い晩などに外をあるくのは兢々《びくびく》もので、何時《いつ》だしぬけに土手っ腹を抉《えぐ》られるか判らないというわけです。文化のころの落首《らくしゅ》にも『春の夜の闇はあぶなし槍梅の、わきこそ見えね人は突かるる』とか、又は『月よしと云えど月には突かぬなり、やみとは云えどやまぬ槍沙汰』などというのがありました。今度はもう落首どころじゃありません。うっかりすると落命に及ぶのですから、この前に懲《こ》りてみな縮み上がってしまいました。そういう始末ですから、上《かみ》でも無論に打っちゃっては置かれません。厳重にその槍突きの詮議にかかりましたが、それが容易に知れないで、夏から秋まで続いたのだから堪まりません。八丁堀同心の大淵吉十郎という人は、もし今年中にこの槍突きが召捕れなければ切腹するとか云って口惜《くや》しがったそうです。旦那方がその覚悟ですから、岡っ引もみんな血眼《ちまなこ》です。ほかの御用を打っちゃって置いても、この槍突きを挙げなけ
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