半七捕物帳
槍突き
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)流行《はや》った
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)麹|町《まち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)わあっ[#「わあっ」に傍点]と逃げ出した
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一
明治廿五年の春ごろの新聞をみたことのある人たちは記憶しているであろう。麹|町《まち》の番|町《ちょう》をはじめ、本郷、小石川、牛込などの山の手辺で、夜中に通行の女の顔を切るのが流行《はや》った。若い婦人が鼻をそがれたり、頬を切られたりするのである。幸いにふた月三月でやんだが、その犯人は遂に捕われずに終った。
その当時のことである。わたしが半七老人をたずねると、老人も新聞の記事でこの残忍な犯罪事件を知っていた。
「犯人はまだ判りませんかね」と、老人は顔をしかめながら云った。
「警察でも随分骨を折っているようですが、なんにも手がかりが無いようです」と、わたしは答えた。「一種の色情狂だろうという説もありますが、なにしろ気ちがいでしょうね」
「まあ、気ちがいでしょうね。昔から髪切り顔切り帯切り、そんなたぐいはいろいろありました。そのなかでも名高いのは槍突きでしたよ」
「槍突き……。槍で人を突くんですか」
「そうです。むやみに突き殺すんです。御承知はありませんか」
「知りません」
「尤《もっと》もこれはわたくしが自分で手がけた事件じゃあありません。人から又聞きなんですから、いくらか間違いがあるかも知れませんが、まあ大体はこういう筋なんです」と、老人はしずかに語り出した。「文化三、丙寅《ひのえとら》年の正月の末頃から江戸では槍突きという悪いことが流行りました。くらやみから槍を持った奴が不意に飛び出して来て、往来の人間をむやみに突くんです。突かれたものこそ実に災難で、即死するものも随分ありました。その下手人《げしゅにん》は判らずじまいで、いつか沙汰やみになってしまいましたが、文政八年の夏から秋へかけて再びそれが流行り出して、初代の清元延寿太夫も堀江町《ほりえちょう》の和国橋の際《きわ》で、駕籠の外から突かれて死にました。富本をぬけて一派を樹《た》てたくらいの人ですから、誰かの妬《ねた》みだろうという噂もありましたが、実はなんにも仔細はないので、やはりその槍突きに殺《や》られ
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