事だったんですか」
「火の大きくならなかったのも、お稲荷様のおかげだと云って、長屋じゅうの者も喜んでいます」と、家主は云った。
「喜ぶのは間違っている」と、半七はあざ笑った。「お稲荷さまに御利益《ごりやく》があるなら、はじめからこんな騒ぎを仕出来《しでか》さねえがいい。家を焼いて、人を殺して、御利益もねえもんだ。いっそ刷毛《はけ》ついでにこの稲荷も燃《も》してしまっちゃあどうです」
無法なことを云うとは思ったらしいが、相手が相手なので、家主は苦《にが》り切って黙っていると、半七は足下《あしもと》にまだちろちろ[#「ちろちろ」に傍点]と燃えている木のきれを拾って松明《たいまつ》のように振りあげた。
「ようがすかえ。この稲荷に火をつけますぜ」
「お前さん。とんでもないことを……」
家主はあわててその腕を押えると、半七は委細かまわず又呶鳴った。
「ええ、構うものか、こんな稲荷……。さあ、焼くぞ、こんな燧石箱《ひうちばこ》のような小っぽけな祠《ほこら》は、またたく間に灰にしてしまうぞ。野良狐《のらぎつね》が隠れているなら早く出て来い」
稲荷様もこれには驚いたのかも知れない。その声に応じて
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