出てくる万歳どもはみな其の市へあつまって、思い思いに自分の才蔵を択《えら》むことになっていたが、天保以後にはそれがもう廃《すた》れて、万歳と才蔵とは来年を約束して別れる。そうして、その年の暮に万歳が重ねて江戸へ下《くだ》ると、主《おも》に安房《あわ》上総《かずさ》下総《しもうさ》から出て来る才蔵は約束の通りその定宿へたずねて行って、再び連れ立って江戸の春を祝ってあるく。それが此の頃の例になっているので、万歳はその都度《つど》に才蔵を選ぶ必要はなかった。
 遠国《おんごく》同士の約束は甚だ不安のようではあるが、義理の固い才蔵は万一自分に病気その他の差し支えがある場合には、差紙《さしがみ》を持たせて必ず代人を上《のぼ》せることになっているので、大抵は間違いも無しに済んでいた。その才蔵が約束通りにたずねて来ない、又その代人もよこさないとあっては、万歳の市丸太夫が当惑するのも無理はなかった。いくら立派な出入り屋敷をたくさん持っていても、才蔵を連れない万歳は武家屋敷の門松をくぐる訳にはゆかなかった。
「その才蔵はなんという名で、どこの奴だ」と、半七は訊いた。
「下総の古河《こが》の奴で、松若とい
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