られた。おそらく菩提寺の住職に因果を説かれて、お安の死霊の恨みを解くために、俄かに発心《ほっしん》して出家を思い立ったのであろう。女房や番頭がそれに反対したのも無理はないが、見す見す死霊に付きまとわれて津の国屋の店をかたむけるよりも、お雪に然るべき婿を取って自分は隠居してしまった方が、むしろ安全ではあるまいかとも思われた。しかし、そんなことを滅多《めった》に口にすべきものではないので、彼女は黙ってお雪の話を聴いていた。

     五

 それから五、六日経つと、津の国屋の女中のお米《よね》がまたおどされた。それはやはりかのお松が怪しい女に出逢ったのと同じ刻限で、かれも町内の湯屋から帰る途中であった。その晩は雨がしとしと降っていたので、お米は番傘をかたむけて急いでくると、途中で足駄《あしだ》を踏みかえして鼻緒をふっつりと切ってしまった。何分にも薄暗い路ばたでどうすることも出来ないので、かれは鼻緒の切れた足駄をさげて片足は跣足《はだし》であるき出そうとすると、傘のかげから若い女の白い顔が浮き出して、低い声で云った。
「津の国屋は今に潰《つぶ》れるよ」
 お松の話を聴いているので、お米は急
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