突然云い出した。女房は勿論おどろいたが、番頭の金兵衛もびっくりして、主人にその仔細を聞き糺したが、次郎兵衛はくわしい説明をあたえなかった。しかしそれが十三日の午すぎに寺まいりに行って、住職となにか相談の結果であるらしいことは想像された。主人が突然の隠居に対して、金兵衛はあくまでも反対であった。女房のお藤もやはり不同意で、たとい隠居するにしても、娘に相当の婿をとって初孫《ういまご》の顔でも見た上でなければならないと主張した。その押し問答のあいだに、次郎兵衛は単に隠居するばかりでなく、隠居と同時に出家《しゅっけ》する決心であることが判ったので、女房も番頭も又おどろいた。二人は涙を流して一※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《いっとき》あまりも意見して、どうにかこうにか主人の決心をにぶらせた。
「お父っさんがああ云うのも無理はないけれど、今だしぬけにそんなことをされちゃあ、この津の国屋の店もどうなるか判らないからねえ」と、お藤はあくる朝、むすめのお雪にそっと話した。
 この話をきかされて、文字春は肚《はら》のなかでうなずいた。津の国屋の主人が隠居して頭を刈り丸めようとする仔細も大抵さと
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