止めなかったが、あまりしつこく付きまとって来るので、文字春もしまいには忌《いや》な心持になった。なんだか薄気味悪くもなって来た。
しかし相手は孱細《かぼそ》い娘である。まさかに物取りや巾着切《きんちゃっき》りでもあるまい。文字春は今年二十六で、女としては大柄の方であった。万一相手の娘がよくない者で、だしぬけに何かの悪さを仕掛けたとしても、やみやみ彼女に負かされる程のこともあるまいと多寡《たか》をくくっていたので、文字春はさのみ怖いとも恐ろしいとも思っていなかったのであるが、何分にも自分のあとを付け廻してくるのが気になってならなかった。彼女はだんだんに気味が悪くなって来て、物取りや巾着切りなどということを通り越して、なにか一種の魔物ではないかとも疑いはじめた。死に神か通り魔か、狐か狸か、なにかの妖怪が自分に付きまつわって来るのではないかと思うと、文字春は俄かにぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。彼女はもう強がってはいられなくなって、数珠《じゅず》をかけた手をそっとあわせて、口のうちでお題目を一心に念じながら歩いて来たのであった。それでも無事に大木戸を越して、もう江戸へはいったと思うと、彼女
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