床《かみゆいどこ》の噂話ばかりでなく、堅気《かたぎ》の商人《あきんど》の店先でもまじめにささやかれるようになって来た。
 あしたが草市《くさいち》という日に、お雪はいつものように文字春のところへ稽古に来た。丁度ほかに相弟子のないのを見て、彼女は師匠に小声で話した。
「お師匠《しょ》さん。おまえさんもお聞きでしょう。あたしの家には死霊の祟りがあるとかいう噂を……」
 文字春はなんと返事をしていいか、少しゆき詰まったが、どうも正直なことを云いにくいので、彼女はわざと空とぼけていた。
「へえ。そんなことを誰か云うものがあるんですか。まあ、けしからない。どういうわけでしょうかねえ」
「方々でそんなことを云うもんですから、お父っさんや阿母《おっか》さんももう知っているんです。阿母さんは忌な顔をして、あたしのこの足ももう癒らないかも知れないと云っているんですよ」
「なぜでしょうね」と、文字春は胸をどきつかせながら訊いた。
「なぜだか知りませんけれど」と、お雪も顔を曇らせていた。「お父っさんや阿母さんも其の噂をひどく気に病んで、丁度お盆前にそんな噂をされると何だか心持がよくないと云っているんですの。
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