笑ってみせた。「実はね、津の国屋の惣領娘がわずらいつく二、三日まえの晩に、近所の者が外へ出ると、町内の角で一人の娘に逢った。娘は撫子《なでしこ》の模様の浴衣《ゆかた》を着て……」
「もう止してください。わかりましたよ」と、文字春はもう身動きが出来なくなったらしく、片手を畳に突いたままで眼を据えていた。
「いや、もうちっとだ。その娘がどうしても津の国屋の貰い娘のお安ちゃんに相違ねえので、思わず声をかけようとすると、娘の姿は消えてしまったという話だ。おいらもその話をかねて聞いていたが、なにを云うのかと思って碌に気にも留めずにいたが、今夜の師匠の話を聴いてみると、成程それも嘘じゃなかったらしい。そのお安ちゃんが又お迎いにやって来たんだ。津の国屋のお雪ちゃんは今年十七になったからね」
台所でかたり[#「かたり」に傍点]という音がきこえたので、文字春はまたぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。菓子を買いに行った小女が今ようやく帰って来たのであった。
三
文字春はその晩おちおち眠られなかった。撫子の浴衣を着た若い女が蚊帳《かや》の外から覗いているような夢におそわれて、少しうとうとす
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