に怖くなった。かれは思わずきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と叫んで、持っていた足駄をほうり出して、片足の足駄も脱いでしまって、跣足で自分の店へ逃げて帰ったが、年のわかいかれは店へかけ込むと同時にばったり倒れて気を失った。水や薬の騒ぎでようように息を吹きかえしたが、お米はその夜なかから大熱を発して、取り留めもない讒言《うわごと》を口走るようになった。
「津の国屋は今に潰れるよ」
 かれは時々にこんなことも云った。主人夫婦は勿論、店の者共も気味を悪がって、病人のお米を宿へ下げてしまった。その駕籠の出るのをみて、近所の者はまたいろいろの噂を立てた。こんなことが長く続いていれば、店は次第にさびれるに決まっているので、番頭の金兵衛もひどく心配していたが、幸いにお藤の足の痛みはだんだんに薄らいで、もう此の頃では馬道へ通わないでも済むようになった。次郎兵衛は店の商売などはどうでもいいというようなふうで、毎日かならず朝と晩とには仏壇の前に座って念仏を唱えていた。
 それらの事はお雪の口からみな文字春の耳にはいるので、彼女はいよいよ暗い心持になって、津の国屋は遅かれ早かれどうしても潰れるのではあるまいかと危ぶまれた。
 八月になって、津の国屋にもしばらく変ったこともなかったが、十二日の宵に奥の間の仏壇から火が出て、代々の位牌も過去帳も残らず焼けてしまった。宵の口のことであるから、大勢がすぐに消し止めて幸いに大事にはならなかったが、場所もあろうに仏壇から火が出たということが家内の人々を又おびやかした。
「お燈明の火が風にあおられたのです」と、番頭の金兵衛は云った。
 この矢先に又こんなことが世間に聞えてはよくないと、金兵衛は努めてそれを秘《かく》して置こうとしたが、誰がしゃべるのか近所ではすぐに知ってしまった。女中のお松ももう居たたまれなくなったと見えて、その月の末に親が病気だというのを口実にして、無理に暇を取って行った。先月にはお米が宿へ下がって、今月はお松が立ち去り、出代り時でもないのに女中がみな居なくなってしまったので、津の国屋では台所働きをする者に差し支えた。近所の桂庵《けいあん》でも忌な噂を知っているので、容易に代りの奉公人をよこさなかった。
「この頃は阿母《おっか》さんとあたしが台所で働くんですよ」と、お雪は文字春に話した。「それでも阿母さんはまだほんとうに足が良くないんですか
前へ 次へ
全36ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング