けん》にしたこともあるだろうし、お安という娘もなかなか利巧者だから、親たちの胸のうちも大抵さとっていたらしい。それだから、いよいよ追い出される時には大変に口惜《くや》しがって、自分は貰い子だから実子が出来た以上、離縁されるのも仕方がない。けれども、ほかの事と違って、そんな淫奔《いたずら》をしたという濡衣《ぬれぎぬ》をきせて追い出すというのはあんまりだ。里へ帰って親兄弟や親類にも顔向けが出来ない。きっとこの恨みは晴らしてやるというようなことを、仲のいい老婢《ばあや》に泣いて話したそうだ」
「まあ、可哀そうだわねえ」と、文字春も眼をうるませた。「それからどうしたの」
「それから八王子へ帰って、間もなく死んでしまったという噂だ。今もいう通り、身を投げたか首をくくったか知らねえが、なにしろ津の国屋を恨んで死んだに相違ねえ。娘はまあそれとして、その相手と決められた屋根屋の竹の野郎がおとなしく黙っているのがおかしいと思っていると、それからふた月ばかり経《た》たねえうちに、ちょうど夏の炎天に出入り場の高い屋根へあがって仕事をしている時、どうしたはずみか真《ま》っ逆《さか》さまにころげ落ちて、頭をぶち割ってそれぎりよ。そうなると世間では又いろいろのことを云って、竹の野郎は津の国屋から幾らか貰って、得心《とくしん》ずくで黙っていたに相違ねえ。あいつが変死をしたのは娘のおもいだと、まあこういうんだ」
「怖いわねえ。悪いことは出来ないわねえ」と、文字春は今更のように溜息をついた。
「どっちにしてもお安という娘は死ぬ、その相手だという竹の野郎もつづいて死ぬ。それでまあ市《いち》が栄えたいう訳なんだが、ここに一つ不思議なことは、忘れもしねえ今から丁度十年前……。これは師匠も知っているだろうが、津の国屋の実子のお清さんがぶらぶら病いで死んでしまった。そりゃあ老少不定《ろうしょうふじょう》で寿命ずくなら仕方もねえわけだが、その死んだのが丁度十七の年で、先《せん》のお安という娘と同い年だ。お安も十七で死んだ。お清も十七で死んだ。こうなるとちっとおかしい。表向きには誰もなんとも云わねえが、先の貰い娘の一件を知っているものは、蔭でいろいろのことを云っている。それにもう一つおかしいのは、あのお清さんの死ぬ前にちょうど今夜のようなことがあったんだ」
「棟梁」
「いや、おどかす訳じゃあねえ」と、兼吉はわざと
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