ぎてしまったらしく、初冬の弱い日のひかりが路傍の藁屋根をうす明るく照らして来た。
「いい塩梅に日が出て来ました。これなら二羽や三羽は訳なしです」と、老人は空を見あげながら云った。
「なるべく多い方がいいんですね」
「と云って、二十匹も三十匹も要《い》るわけじゃありません。まあ、五、六匹か、十匹もあればたくさんだろうと思うんです。そうすると、わたしはもう一度、あの蕎麦屋へ行っていますからね。雀が捕れ次第に引っ返して来てください」
約束して二人は別れた。半七はまた引っ返して蕎麦屋の前に来ると、むすめのお杉は暖簾から首を出して、仔細らしくこっちをうかがっているらしかった。
「おい、ねえさん。ちょいと用がある。こっちへ来てくんねえ」
半七は小手招《こてまね》ぎをして娘を呼び出した。お杉は少しく躊躇しているらしかったが、とうとう思い切って外へ出て来た。二人は大きい榎《え》の木の下に立って、脚もとに遊んでいる鶏をながめながら小声で話し出した。
「姐《ねえ》さん、おまえさんの名はお杉さんというんだね」と、半七はまず訊いた。
お杉はやはり無言でうなずいた。
「わたしは神田の半七という御用聞きだ。今おまえを調べるのは御用だから、そのつもりで何でも正直に云ってくれないじゃあ困る。いいかえ」と、半七はまず嚇《おど》して置いて、それから吉見の屋敷の奉公のことを訊いた。
それに対して、お杉は正直に答えた。自分は十七の春から雑司ヶ谷の吉見の屋敷に奉公して、この二月の出代りのときに暇を取って退がったと云った。吉見仙三郎は養子で、家付きの娘お千江と五年まえから夫婦になったが、お千江はとかく病身で、夫婦の仲にはまだ子供もないということも話した。
「おまえは婿を取るために家《うち》へ帰ったんだろう」と、半七は笑いながら訊いた。
「そう云って無理にお暇をいただいたのです」
「それでなぜ婿を取らねえ。気に入ったのがねえのか」
お杉はすこし顔を赧《あか》くして黙っていた。
「吉見の旦那は時々たずねてくるのかえ」
お杉は眼をひからせて半七の顔を屹《きっ》と見たが、すぐに又うつむいてしまった。
「え、そうだろう。吉見の旦那はゆうべ来やしなかったか。え、来たろうな」
お杉はやはり黙っていた。半七はその肩に手をかけて云った。
「え、ほんとうに来たろう。隠しちゃあいけねえ」
「いいえ」
「たしかに来ねえか」
「おいでになりません」と、お杉はきっぱり答えた。
「嘘をついちゃあいけねえぜ。嘘をつくと飛んだことになる。吉見さんは全く来ねえか」
「一度もおいでになりません」
半七は黙ってお杉の顔色をながめていると、足もとの鶏がだしぬけに時を作ったので、お杉は思わず顔をあげた。その顔はいつか蒼ざめていた。
おとなしそうに見えてもなかなかに強情らしいので、半七はこの上の詮議は無駄であろうと思った。もちろん彼女を引っ張って行って、表向きに吟味する術《すべ》がないでもないが、町方《まちかた》と違ってここらは郡代《ぐんだい》の支配であるから、公然彼女を吟味するとなれば、どうしても郡代の屋敷へ引っ立てて行かなければならない。そうなると、この事件は明るみへ持ち出されて、たといその鳥のゆくえは判ったとしても、光井金之助らは当然その咎めをうけなければならない。それではなんにもならないと思ったので、半七はひとまずお杉の詮議を切り上げることにした。
「いや、そう判ったらもうそれでいい。お父《と》っさんや阿母《おっか》さんにはこんなことは黙っているがいいぜ」
お杉は網を逃がれた小鳥のように、早々に会釈して立ち去った。暖簾をはいる彼女のうしろ姿を見届けて、半七は二、三軒先の荒物屋へ寄ると、まだ若い女房が火鉢のまえで継《つ》ぎ物をしていた。
「麻裏はありませんかえ」
「いらっしゃい」と、女房は針をやすめて起って出た。「どうも宜しいのが切れて居りまして……」
「なんでもいい。俄か雨でこの通り泥だらけにしてしまったのだから、何か丈夫そうなのを下さいな」
どうで気に入ったのは無いと承知の上で、半七はありあわせた麻裏草履を一足買った。かれは店口に腰をかけて、その草履を穿《は》きかえながら訊いた。
「おかみさん。そこの蕎麦屋の娘は雑司ヶ谷に奉公していたんだね」
「よく御存じで……。そうでございますよ」
「わたしもあの辺の者だから知っているんだが、あの娘は御鷹匠の吉見さんの御屋敷に奉公していたんだろう」
「そうでございますよ」と、女房はうなずいた。
「だが、どうして暇を取るようになったのかなあ」と、半七はわざと首をかしげて見せた。「そんな筈じゃあないんだが……」
「お杉さんの忌《いや》がるのを、親たちが無理に下げたのだということでございますよ」
「そうだろう。御新造は病気だし、旦那が暇をくれる筈はないんだから」
女房はすこし驚いたように半七の顔を見たが、やがて又笑い出した。
「ほほ、なにもかも御存じなのでございますねえ」
「知っているよ。今もいう通り、すぐ近所に住んでいるんだから」と、半七も笑った。「その一件があるので、あの娘はまだ婿を取らないんだろう。え、そうだろう」
女房は意味ありげに笑っていた。
四
半七にかま[#「かま」に傍点]をかけられて、荒物屋の女房はとうとうおしゃべりをしてしまった。その話によると、お杉は十七の春から吉見の屋敷へ奉公に出ているうちに、病身の妻を持っている主人と一種の関係が結ばれた。そんなことは知らないお杉の両親は、もう年頃になった娘をいつまで奉公させて置くでもない、家へ帰って相当の婿を取らせなければならないというので、忌がる娘を無理に連れて帰ったが、そういう秘密があるので、お杉は容易に婿を取ろうと云わないばかりか、店の手伝いも碌々にしないので、この頃は親子喧嘩が絶えないとのことであった。
「それでもさっきのあの川《かわ》っ縁《ぷち》で大根を洗っていたぜ」と、半七は云った。
「まあ、その位のことはするでしょうけれど……」と、女房はほほえんだ。「ここらにいれば其のくらいのことは当りまえですもの。それで何でも以前の旦那様というのが時々たずねていらっしゃるんですよ」
「あすこの家へ来るのかえ」
「いいえ、親たちは堅い人ですから、そんなことは出来ません。この先の辰さんの家で、ほほほほほ」
いくらか法界悋気《ほうかいりんき》もまじって女房はこんな秘密までもべらべらしゃべった。辰蔵というのは小料理屋の亭主であるが、身持ちのよくない人間で小|博奕《ばくち》も打つ男である。料理屋といっても、家には老母と小女《こおんな》がいるきりなので、お杉はどんなふうに頼み込んだか知らないが、その家を逢い曳《び》きの場所に借りて、ときどきに旧主人に逢っている。それを近所ではみんな知っているが、お杉の親たちは不思議に知らないらしい。知れたらきっとなにかの面倒が起るであろうと女房は仔細らしく話した。
「なるほど、そいつは粋事《いきごと》だね。不動前まで行ったら、もっといい茶屋もあるだろうに……」と、半七は笑った。多寡《たか》が百俵取りで、おまけに道楽者の吉見としては、金廻りが悪いに相違ない。ここらの小料理屋が分相当であるかも知れないと彼は思った。
これでまずお杉と吉見との関係は確かめられた。ゆうべも吉見が来たらしいかと訊いたが、荒物屋の女房もさすがにそこまでは知らないと云った。そこへ鳥さしの姿が見えたので、半七は外へ出て招くと、老人は黐竿をかかえて小走りに急いで来た。
「もし、これだけ捕って来ました」
老人は一生懸命になって猟《あさ》り歩いたらしい。運の悪い雀が十二三羽も籠の中に押込まれていた。
「たいそう捕れましたね」と、半七は笑いながら云った。「それだけあればたくさんです。ところで、どうでしょう。その雀の羽には黐が付いているが、それでも飛べますか」
「飛べるのもあり、飛べないのもあります」と、老人は云った。「しかし、どうせこの黐は洗って取るのです。黐の付いているままでお鷹にやるわけには行きませんからね」
「ここで逃がさないように巧く洗えますかえ」
「そりゃ洗えないことはありませんよ」
「そうですか。だが、まあ、その儘にして出かけましょう」
「これから何処へまいります」
「すぐそこの料理屋へ行くんです」
半七は老人に何かささやくと、彼はおとなしくうなずいた。草履の代を払って、半七は先に立って出てゆくと、やがて彼《か》の辰蔵の店のまえに来た。小料理屋といっても、やはり荒物屋兼帯のような店で、片隅には草鞋や渋団扇《しぶうちわ》などをならべて、一方の狭い土間には二、三脚の床几《しょうぎ》が据えてあった。その土間をゆきぬけた突き当りに、四畳半ぐらいの小座敷があるらしく、すすけた障子が半分明けてあるのが表からみえた。店口の柳の木には一匹の荷馬がつないであった。と思うと、店のなかでは俄かに呶鳴る声がきこえた。
「この野郎、横着な野郎だ。三日の約束がもう五日になるでねえか」
半七は表から覗《のぞ》いてみると、今しきりに呶鳴っているのは、三十五六の赭《あか》ら顔の大男で、その風俗はここらの馬子《まご》と一と目で知られた。その相手になって何か云い争っているのは、やはりおなじ年頃の色の黒い、中背の男で、おそらく亭主の辰蔵であろうと半七は想像した。
「嘘つき野郎め、ふてえ奴だ、われには何度だまされたか知れねえぞ。もうその手を食うものか、耳をそろえて直ぐに渡せ」と、馬子は嵩《かさ》にかかって哮《たけ》り立った。
「嘘をつく訳じゃねえ。今ここにねえから我慢してくれと云うのだ。近所隣りの手前もあらあ。無暗《むやみ》に大きな声をするな」と、辰蔵は着物の襟を掻き合わせながら云った。
「なんの、遠慮があるものか。貴様が横着の嘘つき野郎ということは不動様も御存じで、近所隣りでもみんな知っているんだ。それが口惜《くや》しければ銭《ぜに》を出せ」
「だから、少し待てと云うのだ」と、辰蔵はそらうそぶいていた。「多寡が盆の上の貸し借りだ。まさかに名主や代官所へ持ち出すわけにもいくめえ。いくら騒いだって始まらねえ理窟だ。まあ、おとなしくあしたまで待つがいい。きょう中にはきっと金のはいるあてがあるんだから」
「その嘘はもう聞き飽きた。貴様のような奴に一杯食わされて、べんべんと待っている俺じゃねえだ。さあ、すぐに出せ。これだけの家台骨を張っていて、一貫と二百ばかりの銭がねえとは云わせねえぞ」
馬子は辰蔵の胸ぐらを引っ掴んで小突きまわすと、辰蔵も半纒《はんてん》をぬいで起ち上がった。そばに十四五の少女がぼんやり突っ立っているが、相手の権幕が激しいので取り鎮めるすべもないらしい。老母らしい女のすがたは見えなかった。
二人の問答によって想像すると、馬子は博奕の貸しを催促に来たらしい。この行きがかりではどうでも一と騒動なくては納まるまいと、半七は黙って表から覗いていると、果たして二人の拳固が入り乱れて打ち合いをはじめた。力ずくでは馬子の方が強いらしく、辰蔵は忽ちその利き腕を捻じ曲げられて、床几の上に押し付けられると、床几はかたむいて倒れて、馬子も辰蔵に折りかさなって土間にころげた。もう見てもいられないので、半七は店へはいって声をかけた。
「おい、おい、どうしたんだ。おれ達はさっきから待っているじゃねえか。喧嘩はあとにして、お客様の方をどうかしてくれ」
哮《たけ》り狂っている二人の耳には、その声が容易に聞えないらしいので、半七は舌打ちをしながら進み寄って、まず馬子の腕を押え付けた。捕物に馴れている半七に利き腕をつかまれて、暴れ狂っている馬子もいたずらに身をもがくばかりであった。
「まあ、静かにするがいい。ここの家の商売の邪魔にもなる。今聞いていりゃあ盆の上の貸し借りだというじゃあねえか。そんな野暮に催促するにも及ばねえ。ここの亭主もきょう中には金がきっとはいるというんだから、わたしが仲人だ。まあ待ってやるがよかろうぜ」
馬子は黙って半七の顔をながめていたが、腕をつかんだ手際《てぎわ》といい、その風俗といい、その口
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