とう。それから……姐《ねえ》さん達は、けさここらへ鷹の降りたという噂を聞かなかったかね」
二人の女は黙っていた。
「知らないかえ」
「知りませんね」と、初めの女が答えた。
「いや、ありがとう」
挨拶して半七は別れた。教えられたままに名主の家をたずねて、鷹のことを聞き合わせると、村じゅうで誰も見つけたものはないらしく、現に今までも届けて来たものは無いとのことであった。鷹は前にもいう通り、普通の家で飼うべきものでない。その鷹の詮議とあれば容易ならぬことと察したらしく、名主も眉をよせて訊いた。
「そのお鷹はやはり御鷹所のでございますか」
「千駄木のですよ」と、半七は正直に答えた。「しかし、これは内密に探索しなければならないのですから、おまえさんの方でもそのつもりで……。なにか心当りがありましたら、わたしのところまでこっそり知らせてください」
「承知しました」
名主によく頼んで置いて、半七はそこを出ると、空の色はいよいよ怪しくなって来た。引っ返して名主のところで傘を借りて来ようかと思ったが、それも面倒だとその儘《まま》すたすた歩き出すと、川の縁でさっきの二人の女にまた逢った。
「や、さっきはありがとう」
女たちは無言で会釈《えしゃく》して別れた。村はずれまで来かかると、時雨《しぐれ》がとうとうざっと降って来たので、半七は手拭をかぶりながら早足に急いでくると、路ばたに小さい蕎麦《そば》屋を見つけたので、彼は当座の雨やどりのつもりで、ともかくも暖簾《のれん》をくぐると、四十ばかりの女房が雑巾《ぞうきん》のような手拭で濡れ手を拭きながら出て来た。
「いらっしゃいまし。おあつらえは……」
「そうさなあ」
云いながら半七は家のなかを見まわした。この小ぎたない店付きではどうで碌なものは出来まいと思ったので、彼は当り障りのないように花巻の蕎麦を註文すると、奥から五十ばかりの亭主が出て来て、なにか世辞を云いながら釜前へまわって行った。すすけた壁をうしろにして、半七は黙って煙草をのんでいると、外の時雨はひとしきり強くなって来たらしく、往来のさびしい街道にも二、三人の駈けてゆく足音がきこえた。と思ううちに、一人の男がこの雨に追われたように駈け込んで来た。
「やあ、降る、降る。こんな雨になろうとは思わなかった」
男の菅笠からはしずくが流れていた。かれは手甲脚絆の身軽な扮装《いでたち》で、長い竹の継竿《つぎざお》を持っていたが、その竿にたくさんの鳥黐《とりもち》が付いているのを見て、それが鳥さしであることを半七はすぐに覚った。彼は時々ここへ来ると見えて、蕎麦屋の夫婦とも懇意であるらしく、たがいに馴れなれしくなにか挨拶していた。狭い店であるから、彼は半七のすぐ前に腰をおろして、濡れた笠をぬぎながら会釈した。
「悪いお天気ですね」
「そうでございます」と、半七も会釈した。「とりわけお前さん方はお困りでしょう」
「まったくですよ。黐をぬらしてしまうのでね」と、鳥さしは腰につけていた鳥籠を見返りながら云った。
「おまえさんは千駄木ですか、それとも雑司ヶ谷ですかえ」
「千駄木の方ですよ」
徳川家の御鷹所は千駄木と雑司ヶ谷の二カ所にある。鳥さしはそれに付属する餌取《えと》りという役で毎日市中や市外をめぐって、鷹の餌にする小雀を捕ってあるくのである。鷹のゆくえを詮議している折柄に、あたかも鳥さしに出合って、しかもそれが千駄木であるということが何かの因縁であるように思われたが、勿論、この鳥さしはお鷹紛失のことを知らないに相違ない。うっかりしたことをしゃべって善いか悪いかと、半七はしばらく躊躇していた。鳥さしはもう五十を二つも三つも越えているらしいが、背の高い、色の黒い、見るからに丈夫そうな老人であった。
鳥さしはかけ蕎麦を註文して食った。半七も自分のまえに運ばれた膳にむかって、浅草紙のような海苔《のり》をかけた蕎麦を我慢して食った。そのいかにも不味《まず》そうな食い方を横目に視て、鳥さしの老人は笑いながら云った。
「ここらの蕎麦は江戸の人の口には合いますまいよ。わたし達は御用ですからここらへも時々廻って来るので、仕方無しにこんなところへもはいりますが、それでも朝から駈けあるいて、腹が空いている時には、不思議に旨く食えますよ。ははははは」
「そうですね。江戸者は詰まらない贅沢《ぜいたく》を云っていけませんよ」
こんなところから口がほぐれて、半七と鳥さしとは打ち解けて話し出した。外の雨はまだ止まないので、二人は雨やどりの話し相手というような訳で、煙草を喫《す》いながらいろいろの世間話などをしているうちに、半七はふと思い出したように訊いた。
「おまえさんは千駄木だと仰しゃるが、御組ちゅうに光井さんという方《かた》がありますかえ」
「光井さんというのはあります。弥左衛門さんに金之助さん、どちらも無事に勤めていますよ。おまえさんは御存じかね」
「その金之助さんというお方に一度お目にかかったことがありました。まだ若い、おとなしいお方で……」と、半七はいい加減に答えた。
「はあ、おとなしい人ですよ」と、老人はうなずいた。「組中でも評判がいいので、ゆくゆくはお役付きになるかも知れません」
その金之助がまかり間違えば切腹の大事件を仕でかしていることを、鳥さしの老人は夢にも知らないらしかった。それからだんだん話して見ると、この老人は光井金之助という若い鷹匠に対してよほどの好意をもっているらしく、しきりに彼の出世を祈るような口ぶりであった。由来、鷹匠と餌取りとは密接の関係をもっている職務でありながら、その折り合いがどうもよくないもので、餌取りに褒《ほ》められる鷹匠はあまり多くない。その餌取りの老人がしきりに金之助を褒める以上、双方のあいだに特別の親しみがあるらしく察せられたので、半七はむしろこの老人を語らって自分の味方に引き入れようかとも考え付いた。
「おまえさんはけさ早くに千駄木をお出かけになりましたかえ」
「六ツ半頃に出ました」と、鳥さしの老人は答えた。
「それじゃあ光井さんのことをなんにも御存知ないんですか」と、半七は小声で云った。
「光井さんがどうかしましたか」
「これはここだけのお話ですが、光井さんはけさお鷹を逃がしたので……」
老人の顔色は俄かに変った。
「それはどこで逃がしたのです」
「品川の丸屋という家の二階で……」
「丸屋で……」と、老人はいよいよ其の顔をしかめた。
鷹を逃がした前後の事情を聞かされて、老人は太息《といき》をついていた。かれは殆ど途方に暮れたように其の首をうなだれたまま、しばらくは何にも云わなかった。その苦労の色があまりに甚だしいので、半七も少しく意外に感じた。普通の親しみというのを通り越して、この老人と若い鷹匠とのあいだには、なにか特別の関係があるのではないかと疑った。
この時に、裏口から若い女がはいって来て、ぬれた袂《たもと》や裾を釜前で乾かしていた。半七はふと見ると、それはさっき川端で出逢った二人の女のひとりで、どこをどう廻って来たのか、たった今ここの家へ戻ったらしい。年のころは二十歳《はたち》ばかりで、色の白い、小肥りにふとった、憎気のない娘であった。かれは半七と顔を見あわせて無言で会釈した。
「たびたびお目にかかるね」と、半七は笑った。「おまえはここの家《うち》の娘さんかえ」
「はい」と、娘は初めて口をきいた。「あの、名主さんの家は知れましたか」
「知れた。知れた」
この話し声で気がついたらしく、鳥さしの老人は思わず顔をあげて娘の方を見かえると、娘は老人に向っても無言で会釈した。しかも老人と顔を見あわせて、娘の眼の色が俄かに変ったらしいのを、半七は決して見逃がさなかった。
老人は再び首を垂れてしまったが、娘はやはり嶮《けわ》しい眼をして老人をじっと眺めていた。
三
娘は仔細ありげな眼をして老人をうかがっている。老人は首を垂れて黙っている。そこにどんな事情が忍んでいるかを半七も容易に想像することは出来なかったが、とにかくに老人の苦労があまり大きそうなので、半七も黙っているわけには行かなくなって、小声で彼を励ますように云った。
「ねえ、おまえさん。もうこうなったらお互いに考えていても仕方がありません。わたしは神田三河町の半七という御用聞きで、実は八丁堀の旦那から内密にその詮議を云い付けられているんです。お前さんは光井さんと心安いようではあるし、犬も朋輩、鷹も朋輩、いわば朋輩同士のことだから、なんとかわたしに手伝って、そのお鷹を早く見つけ出す工夫をしてくれませんか。逃がした鳥さえ無事に探し出せば、そこは何とでも穏便に済むだろうじゃありませんか。ねえ、そうでしょう」
「そうです、そうです」と、老人は力を得たようにうなずいた。「それよりほかにしようはありますまい。わたしに出来ることならば何でも手伝いをいたしますから、どうぞ一刻《いっとき》も早くそのお鷹を探し出してください。わたしからもくれぐれもお願い申します」
「おまえさんが手伝ってくだされば、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》で、わたしの方でも大変に都合がいい。いい塩梅《あんばい》に雨も大抵やんだようだから、そろそろ出かけながら相談しようじゃありませんか」
半七は鳥さしの分も一緒に勘定を払って出ると、老人はひどく気の毒そうに礼を云いながら半七のあとに付いて出て来た。鳥さしも鷹匠とおなじことで、ふだんは御用を嵩《かさ》にきて、かなり大面《おおづら》をしているものであるが、この場合、かれは半七の救いを求めるように至極おとなしく振舞っていた。二人は雨あがりの田舎道をひろいながら歩いた。
「おまえさん、あの蕎麦屋の娘を知っていなさるのかえ」と、半七はあるきながら訊いた。
「はあ、時々あすこの家《うち》へ寄りますので、夫婦や娘とも心安くして居ります。娘はお杉といって、この間まで奉公に出ていたのでございますよ」
「もう二十歳《はたち》ぐらいでしょうね」
「左様だそうです。当人はもう少し奉公していたいと云うのを無理に暇を取らせて、この春から家へ連れて来たのですが、やはり長し短しで良い婿がないそうで、いまだに一人でいるようでございます」
「どこに奉公していたんです」
「雑司ヶ谷の吉見仙三郎という御鷹匠の家にいたのだそうです。そんな訳で、わたしとは特別に心安くしているのですが……」
「その吉見というのは幾つぐらいの人ですね」
「二十三四にもなりましょうか」
「独り身ですかえ」
「組が違うのでよく知りませんが、もう御新造《ごしんぞ》がある筈です。そうです、そうです。御新造様があると、あのお杉が話したことがありました。吉見さんには時々逢うこともありますが、色のあさ黒い、人柄のいい、なかなか如才《じょさい》ない人です。そのかわり随分道楽もするそうですが……」
「そうですか」と、半七は一々うなずきながら聴いていた。「あの娘は何年ぐらい吉見さんに奉公していたんですえ」
「なんでも十七の年から奉公していたとかいうことです」
「雑司ヶ谷の組の人たちも目黒のほうへお鷹馴らしに出て来ますかえ」
「ときどきに出て来ます」と、老人は答えた。
半七はしばらく立ち停まって思案していたが、やがて左右を見かえってささやいた。
「おまえさん。御苦労だが、もう一度あの蕎麦屋へ引っ返してくれませんか」
「はあ」と、老人は不審そうに半七の顔を見た。「なにか、忘れ物でも……」
「さあ、どうも大きな忘れ物をして来たらしい」と、半七はほほえんだ。「おまえさんの鳥籠にはまだ三匹しかはいっていませんね」
「けさは遅く出て来たものですから、まだ一向に捕れません」
「むむ、三匹でもいいが、そうですね、もう二、三匹捕れませんかえ」
「今はここらにたくさん寄る時分ですから、二羽や三羽はすぐに捕れます」
「じゃあ、済みませんが、そこらへ行って二、三匹さして来てくれませんか。なるべく多い方がいい」
老人はその意味を解《げ》し兼ねたらしいが、云われるままに承知して、竹竿のぬれた黐《もち》を練り直していると、しぐれ雲はもう通り過
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