ている鷹よりも鋭い眼をひからせて、江戸の市民を睨みまわして押し歩いていた。
 かれらが野外へお鷹馴らしに出る場合には、多くその付近の遊女屋に一泊するのを例としていた。よし原と違って、新宿や品川には旅籠屋《はたごや》に給仕の女をおくという名義で営業しているのであるから、かれらの宿泊を拒《こば》むわけには行かない。それが一種の弱い者いじめであって、一旦かれらを宿泊させた以上は、ほかの客を取ることを許さないのである。三味線や太鼓は勿論、迂濶《うかつ》に廊下をあるいても、お鷹をおどろかしたという廉《かど》で厳しく痛め付けられるのであるから、家中《うちじゅう》の者は息を殺して鎮まり返っていなければならない。したがって、その一夜は営業停止である。どんな馴染み客が来ても断わるほかはない。それは遊女屋に取って甚だしい苦痛であるので、せいぜい彼等を優遇した上に、ある場合には幾らかの「袖の下」をも遣《つか》って、大抵のことを見逃がして貰うのである。その厄介きわまる御鷹匠三人が品川の丸屋に泊り込んだ夜に、一つの椿事が出来《しゅったい》した。
 三人の鷹匠は光井金之助、倉島伊四郎、本多又作で、いずれもまだ二十
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