の店のまえに来た。小料理屋といっても、やはり荒物屋兼帯のような店で、片隅には草鞋や渋団扇《しぶうちわ》などをならべて、一方の狭い土間には二、三脚の床几《しょうぎ》が据えてあった。その土間をゆきぬけた突き当りに、四畳半ぐらいの小座敷があるらしく、すすけた障子が半分明けてあるのが表からみえた。店口の柳の木には一匹の荷馬がつないであった。と思うと、店のなかでは俄かに呶鳴る声がきこえた。
「この野郎、横着な野郎だ。三日の約束がもう五日になるでねえか」
 半七は表から覗《のぞ》いてみると、今しきりに呶鳴っているのは、三十五六の赭《あか》ら顔の大男で、その風俗はここらの馬子《まご》と一と目で知られた。その相手になって何か云い争っているのは、やはりおなじ年頃の色の黒い、中背の男で、おそらく亭主の辰蔵であろうと半七は想像した。
「嘘つき野郎め、ふてえ奴だ、われには何度だまされたか知れねえぞ。もうその手を食うものか、耳をそろえて直ぐに渡せ」と、馬子は嵩《かさ》にかかって哮《たけ》り立った。
「嘘をつく訳じゃねえ。今ここにねえから我慢してくれと云うのだ。近所隣りの手前もあらあ。無暗《むやみ》に大きな声をす
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