、やがて店のなかへ引っ返して来た。
「おい、御亭主。この頃に誰かこの銀杏の木へ登りましたかえ」
「いいえ、そんなことは無いようです」と、辰蔵は答えた。
「だって、小さい小枝がみんな折れている。その折れた路がまっすぐに付いているのを見ると、どうも誰か登ったらしい。ここらに猿はいめえじゃねえか」
「そうでございます」と、辰蔵はよんどころなしに笑った。「それじゃあ近所の子供が銀杏《ぎんなん》を取りに登ったかも知れません。随分いたずら者が多うございますからね」
「そうかも知れねえ」と、半七は笑った。「それから木の下にこんな物が落ちていたが……」
それは一枚の小さい鳥の羽であった。辰蔵は思わず覗き込んだ。
「鳥の羽ですね」
「どうも鷹の羽らしい。もし、おまえさん。これは鷹でしょうね」
眼の前に突きつけられて、鳥さしの老人はその薄黒い小さい羽をじっと視た。
「そうです。たしかに、鷹の羽でございます」
「そうすると鷹があの木の上に降りて来て……」と、半七は銀杏のこずえを指さした。「足の緒《お》が枝にからんで飛べなくなったところを、誰かが登って行って捉えたと、まあ、こう判断するんですね。小枝は折れている。木の下に鷹の羽は落ちている。まあ、そう判断するのが無理のないところでしょうね」
云いながら辰蔵の顔をじろりと見かえると、彼は唖《おし》のように黙って立っていた。
「まったく鷹の羽に相違ありませんよ」と、老人はかさねて云った。
「そうですか」
半七は突然起ちあがって辰蔵の腕を強く掴んだ。
「さあ、辰蔵。正直に云え。貴様はけさあの銀杏に降りた鷹を捕ったろう」
「御冗談を……。そんなことは知りません」
「知らねえものか。もう一つ、貴様に調べることがある。貴様の家へゆうべ雑司ヶ谷の鷹匠が泊ったろう」
「そ、そんなことはありません」
辰蔵は声をふるわせて云い訳をした。彼も堅気の人間でないだけに、早くも半七の身分を覚ったらしく、顔の色を変えておどおどしていた。大した悪党でもないらしいと多寡をくくって、半七は畳みかけて責め付けた。
「やい、おれを見そこなやがったか、貴様たちに眼つぶしを食うような俺じゃあねえ。雑司ヶ谷の鷹匠の吉見仙三郎が蕎麦屋のお杉とここの家で逢い曳きをしていることも、俺はちゃんと知っているんだ。さあ、その鷹は貴様が捕ったか、はっきり云え」
「親分。それは御無理ですよ」と、辰蔵はいよいよ声をふるわせた。「わたくしは全くなんにも知らねえんですから」
「まだ強情を張るか。貴様も大抵知っているだろうが、鷹を取れば死罪だぞ。貴様の首が飛ぶんだぞ。しかしこっちにも訳があるから、素直にその鷹を出してわたせば、今度だけは内分に済ましてやる。それとも俺と一緒に郡代屋敷へ行くか、どっちでも貴様の好きな方にしろ」
「でも、親分。ここは一軒屋じゃありません。近所にも大勢の人が住んでいます。木の枝が折れていようと、鷹の羽が落ちていようと、何もわたくしと限ったことはございますまい。まったく私はなんにも知らないのでございます」
「理窟をいうな。貴様が手をくだして捕らねえでも、たしかに係り合いに相違ねえ。きょう中に金がきっとはいるというのは、その鷹をどこへか売るつもりだろう。さあ、云え。貴様が捕ったか、それとも吉見が捕ったか」
床几の上に引き据えられて、辰蔵はまた黙ってしまった。その時、店の入口で何か物音がきこえたらしいので、眼のはやい半七はふと見かえると、いつの間に来ていたのか、かのお杉が柳のかげから一心にこちらを覗いているらしかった。彼女は半七の顔を見ると、身をひるがえして一目散に逃げ出した。
「こん畜生、丁度いいところへ来た」
半七は辰蔵を突き飛ばして表へ飛び出すと、足の早いお杉はもう三、四間も行きすぎていた。咄嗟《とっさ》のあいだに思案した半七は軒先に立てかけてある長い黐竿をとって駈け出して、お杉のあとを追いながら、竿のさきで彼女の頭を押えた。蝉やとんぼを捕る子供の黐竿とは違って、本職の鳥さしの鳥黐であるから、お杉は右の横鬢から銀杏返しの根へかけてべっとりとねばりついた黐をどうすることも出来なかった。彼女は雀のように半七の黐竿に捕えられてしまった。それを無理に引き放そうとあせっているところへ、半七は竿を捨てて追い付いて来た。
「さあ、来い」
お杉も辰蔵の店へ引き摺《ず》り込まれた。黐竿で人間をさしたのを初めて見た老人は、眼を丸くして眺めていた。
「さあ、これで二人揃った。さあ、片っ端から白状しろ。やい、お杉。なんでここへ覗きに来た。てめえはゆうべここの家へ泊り込んで、何もかも知っているだろう。鷹は誰が捕ったんだ」
白状しなければ死罪だと嚇《おど》されて、さすがは女だけにお杉はまず問いに落ちた。辰蔵ももう包み切れなくなって白状した。半七の鑑定通り
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