左衛門さんに金之助さん、どちらも無事に勤めていますよ。おまえさんは御存じかね」
「その金之助さんというお方に一度お目にかかったことがありました。まだ若い、おとなしいお方で……」と、半七はいい加減に答えた。
「はあ、おとなしい人ですよ」と、老人はうなずいた。「組中でも評判がいいので、ゆくゆくはお役付きになるかも知れません」
 その金之助がまかり間違えば切腹の大事件を仕でかしていることを、鳥さしの老人は夢にも知らないらしかった。それからだんだん話して見ると、この老人は光井金之助という若い鷹匠に対してよほどの好意をもっているらしく、しきりに彼の出世を祈るような口ぶりであった。由来、鷹匠と餌取りとは密接の関係をもっている職務でありながら、その折り合いがどうもよくないもので、餌取りに褒《ほ》められる鷹匠はあまり多くない。その餌取りの老人がしきりに金之助を褒める以上、双方のあいだに特別の親しみがあるらしく察せられたので、半七はむしろこの老人を語らって自分の味方に引き入れようかとも考え付いた。
「おまえさんはけさ早くに千駄木をお出かけになりましたかえ」
「六ツ半頃に出ました」と、鳥さしの老人は答えた。
「それじゃあ光井さんのことをなんにも御存知ないんですか」と、半七は小声で云った。
「光井さんがどうかしましたか」
「これはここだけのお話ですが、光井さんはけさお鷹を逃がしたので……」
 老人の顔色は俄かに変った。
「それはどこで逃がしたのです」
「品川の丸屋という家の二階で……」
「丸屋で……」と、老人はいよいよ其の顔をしかめた。
 鷹を逃がした前後の事情を聞かされて、老人は太息《といき》をついていた。かれは殆ど途方に暮れたように其の首をうなだれたまま、しばらくは何にも云わなかった。その苦労の色があまりに甚だしいので、半七も少しく意外に感じた。普通の親しみというのを通り越して、この老人と若い鷹匠とのあいだには、なにか特別の関係があるのではないかと疑った。
 この時に、裏口から若い女がはいって来て、ぬれた袂《たもと》や裾を釜前で乾かしていた。半七はふと見ると、それはさっき川端で出逢った二人の女のひとりで、どこをどう廻って来たのか、たった今ここの家へ戻ったらしい。年のころは二十歳《はたち》ばかりで、色の白い、小肥りにふとった、憎気のない娘であった。かれは半七と顔を見あわせて無言で会釈し
前へ 次へ
全21ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング