い下心《したごころ》であることはよく判っていた。役目の威光を嵩《かさ》にきて、金銭上の問題にかかり合うのは、自分の最も嫌うところであるので、唯それだけの相談ならば、半七はなんとか云って断わってしまいたいと思ったが、悲惨の死を遂げた徳次郎という小僧の遺言が嘘かほんとか、又その兄の徳蔵のうしろには誰か糸をあやつっている者があるかないか、それらの秘密を探り出してみたいという念もあったので、彼はしばらく考えた後に利兵衛に訊《き》いた。
「番頭さん。一体あのお此さんという子は、なぜいつまでも独りでいるんですね。いい子だけれども、惜しいことにちっと薹《とう》が立ってしまいましたね」
「そうでございますよ」
 利兵衛も顔をしかめていた。

     二

 番頭の説明によると、世間の噂はみな根も葉もないことで、山城屋の娘は単に不運というに過ぎないのであった。
 お此はひとり娘であるので、幼い時から親類の男の児を貰って、ゆくゆくは二人を一緒にする心組みであった。ところが、その男の児はある年の夏、大川へ泳ぎに行って溺死した。それはその児が十四で、お此が十一の年の出来事であったが、それが不運のはじまりで、その後お此と婚礼の約束をしたものは、まだ結納《ゆいのう》の取りかわせも済まないうちに、どれもみな変死を遂げたのである。それが最初から数えると四人で、しかも最後の男は十九の年に乱心して、自分の家の物置で首をくくって死んだ。こういう不思議な廻りあわせがお此を縁遠くしてしまったので、ほかには何の仔細もない。しかし世間の口はうるさいもので、それらの事情を知っているものはお此には一種の祟《たた》りがあると云い、事情を知らないものはお此が轆轤首《ろくろくび》であるとか、行燈《あんどん》の油をなめるとか云い触らすので、さなきだに縁遠い彼女をいよいよと廃《すた》りものにしてしまったのである。
 そのなかでも最も多数の人に信じられているのは、彼女が弁天様の申し子であるという説で、弁天娘のあだ名はそれから作られたのであった。山城屋の夫婦はいつまでも子のないのを悲しんで、近所の不忍《しのばず》の弁天堂に三七日《さんしちにち》のあいだ日参《にっさん》して、初めて儲けたのがお此であった。弁天様から授けられた子であるから、やはり弁天様と同じようにいつまでも独り身でいなければならない。それが男を求めようとするために、弁天様の嫉妬の怒りに触れて、相手の男はことごとく亡ぼされてしまうのであるというので、弁天娘の美しそうな異名《いみょう》も彼女に取っては恐ろしい呪《のろ》いの名であった。
 よもやとそれを打ち消す人たちも、お此が弁天様の申し子であるという事実を否認するわけには行かなかった。で、弁天堂へ日参をはじめてから、山城屋の女房が懐胎してお此をうみ落したのは事実であると、利兵衛は云った。
「なにしろ困ったものでございます」と、彼は語り終って溜息をついた。「香花《こうはな》茶の湯から琴三味線の遊芸まで、みな一と通りは心得ていますし、容貌《きりょう》はよし、生まれ付きおとなしく、まず申し分はないのでございますが、右の一件でどうにもなりません。明けてもう二十七になります。ひとり娘ではあり、そういう訳でございますから、親たちもひとしお不憫《ふびん》が加わりまして、それはそれは大切に可愛がっているのでございます。それでも当人は人出入りの多い店の方にいるのを忌《いや》がりまして、この頃では裏の隠居所の方に引っ込んで、今年八十一になります女隠居と二人で暮らしております」
「その隠居所には、隠居さんと娘のほかに誰もいないんですか」と、半七は訊いた。
「三度のたべものは店の方から運ばせますが、ほかに小女《こおんな》を一人やってございます。それはお熊と申しまして、まだ十五の山出しで、いっこうに役にも立ちません」
「隠居さんも、八十一とは随分長命ですね」
「はい。めでたい方でございます。しかし何分にも年でございますから、この頃は耳も眼もうとくなりまして、耳の方はつんぼう同様でございます」
「そうでしょうね」
 役に立たない小女と、眼も耳もうとい隠居婆さんと、縁遠い容貌よしの娘と、この三人を組みあわせて、半七はなにか考えていたが、やがてしずかに云い出した。
「なにしろ困ったことだ。そのままにしても置かれますまいから、まあ何とかしてみましょう。そこで、娘は無論そのことを知っているんでしょうね」
「徳次郎の死んだことは知って居りますが、それについて兄が掛け合いにまいりましたことは、まだ当人の耳へは入れてございません。たとい嘘にもしろ、自分が殺したなぞと云われたことが当人に聞えましては、どうもよくあるまいと存じまして、まだ何も聞かさないように致して居ります」
「判りました。じゃあ、まあその積りでやってみまし
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