半七捕物帳
弁天娘
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)午飯《ひるめし》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)本所|相生町《あいおいちょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)何もいざこざ[#「いざこざ」に傍点]は残りませんからね
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一
安政と年号のあらたまった年の三月十八日であった。半七はこれから午飯《ひるめし》を食って、浅草の三社《さんじゃ》祭りを見物に出かけようかと思っているところへ、三十五六の男がたずねて来た。かれは神田の明神下の山城屋という質屋の番頭で、利兵衛という白鼠《しろねずみ》であることを半七はかねて知っていた。
「なんだかお天気がはっきりしないので困ります。折角の三社様もきのうの宵宮《よみや》はとうとう降られてしまいました。きょうもどうでございましょうか」と、利兵衛は云った。
「全くいけませんでしたね。降っても構わずにやるというから、わたしもこれからちょいと行って見ようかと思っているんですがね。少し雲切れがしているから、午過《ひるす》ぎからは明るくなるかと思いますが、なにしろ花時ですから不安心ですよ」
半分あけてある窓の間から、半七はうす明るくなった空をながめると、利兵衛は少しもじもじしていた。
「では、これから浅草へお出かけになるのでございますか」
「お祭りがことしはなかなか賑やかに出来たそうですからね。それに一軒呼ばれている家《うち》がありますから、まあちょいと顔出しをしなくっても悪かろうと思って……」と、半七は笑っていた。
「はあ、左様でございますか」
利兵衛はやはりもじもじしながら煙草をのんでいた。それがなにやら仔細ありそうにも見えたので、半七の方から切り出した。
「番頭さん。なにか御用ですかえ」
「はい」と、利兵衛はやはり躊躇していた。「実は少々おねがい申したいことがあって出ましたのでございますが、お出さきのお邪魔をいたしては悪うございますから、夜分か明朝《みょうあさ》また出直して伺うことに致しましょうかと存じます」
「なに、構いませんよ。もともとお祭り見物で、一刻《いっとき》半刻をあらそう用じゃあないんですから、なんだか知らないが伺おうじゃありませんか。おまえさんも忙がしいからだで幾たびも出て来るのは迷惑でしょうから、遠慮なく話して
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