来たらしかった。そうして、土間に立って何か息もつかずに囁《ささや》いているらしかった。それに答える七之助の声も低いので、どっちの話も半七の耳には聴き取れなかったが、それでも壁越しに耳を引き立てていると、七之助は泣いているらしく、時々は洟《はな》をすするような声が洩れた。
「そんな気の弱いことを云わないでさ。早く三ちゃんのところへ行って相談しておいでよ。いいえ、もう一と通りのことはわたしが話してあるんだから」と、お初は小声に力を籠《こ》めて、なにか切《しき》りに七之助に勧めているらしかった。
「さあ、早く行っておいでよ。じれったい人だねえ」と、お初は渋っている七之助の手を取って、曳き出すようにして表へ追いやった。
 七之助は黙って出て行ったらしく、重そうな草鞋の音が路地の外へだんだんに遠くなった。それを見送って、お初は自分の家へはいろうとすると、半七は空家の中から不意に声をかけた。
「おかみさん」
 お初はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として立ちすくんだ。空家の戸をあけてぬっ[#「ぬっ」に傍点]と出て来た半七の顔を見た時に、彼女の顔はもう灰色に変っていた。
「外じゃあ話ができねえ。まあ、ち
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