地を出ると半七は熊蔵に訊いた。
「そうです。あの嬶、猫婆の話をしたら少し変な面《つら》をしていましたね」
「むむ、大抵判った。お前はもうこれで帰っていい。あとは俺が引き受けるから。なに、おれ一人で大丈夫だ」
 熊蔵に別れて、半七はそれから他へ用達に行った。そうして、夕七ツ(午後四時)前に再び路地の口に立った。雨が又ひとしきり強くなって来たのを幸いに、かれは頬かむりをして傘を傾けて、猫婆の南隣りの空家へ忍び込んだ。彼は表の戸をそっと閉めて、しめっぽい畳の上にあぐらを掻いて、時々に天井裏へぽとぽとと落ちて来る雨漏《あまもり》の音を聴いていた。くずれた壁の下にこおろぎが鳴いて、火の気のない空家は薄ら寒かった。
 ここの家の前を通る傘の音がきこえて、大工の女房は外から帰って来たらしかった。

     四

 それから又半|※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《とき》も経ったと思う頃に、濡れた草鞋の音がこの前を通って、隣りの家の門口《かどぐち》に止まった。猫婆の息子が帰って来たなと思っていると、果たして籠や盤台を卸すような音がきこえた。
「七ちゃん、帰ったの」
 お初が隣りからそっと出て
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