半七捕物帳
朝顔屋敷
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)家《うち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)柳原|堤《どて》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]
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一
「安政三年……十一月の十六日と覚えています。朝の七ツ(午前四時)頃に神田の柳原|堤《どて》の近所に火事がありましてね。なに、四、五軒焼けで済んだのですが、その辺に知っている家《うち》があったもんですから、薄っ暗いうちに見舞に行って、ちっとばかりおしゃべりをして家へ帰って、あさ湯へ飛び込んで、それからあさ飯を食っていると、もうかれこれ五ツ(午前八時)近くになりましたろう。そこへ八丁堀の槇原という旦那(同心)から使が来て、わたくしにすぐ来いと云うんです。朝っぱらから何だろうと思って、すぐに支度をして出て行きました」
半七老人は表情に富んでいる眼眦《めじり》を少ししかめて、その当時のさまを眼に浮かべるように一と息ついた。
「旦那の家は玉子屋新道で、その屋敷の門をくぐると、顔馴染の徳蔵という中間《ちゅうげん》が玄関に立っていて、旦那がお急ぎだ、早くあがれと云うんです。すぐに奥へ通されると、旦那の槇原さんと差し向いで、四十格好の人品の好いお武家が一人坐っていました。その人は裏四番町に屋敷をもっている杉野という八百五十石取りの旗本の用人で、中島角右衛門という名札《なふだ》をわたくしの前に出しましたから、こっちも式《かた》のごとくに初対面の挨拶をしていますと、槇原の旦那は待ち兼ねたように云うんです。実はこの方から内々のお頼みをうけた筋がある。なにぶん表沙汰にしては工合《ぐあい》が悪いので、どこまでも内密に探索して貰いたいとおっしゃるのだから、あなたから詳しい話をうかがって、節季《せっき》前に気の毒だが一つ働いてくれと……。わたくしも御用のことですから委細承知して、その角右衛門という人の話を聞くと、そのあらましはこういう訳なんです」
きょうから八日前のことであった。例年の通りに、お茶の水の聖堂で素読《そどく》吟味《ぎんみ》が行なわれた。素読吟味というのは、旗本御家人の子弟に対する学問の試験で、身分の高下を問わず、武家の子弟が十二三歳になると、一度は必ず聖堂に出て四書五経の素読吟味を受けるのが其の当時の習慣で、この吟味をとどこおりなく通過した者でなければ一人前とは云われない。吟味の前月までに組々の支配頭へ願書を出しておくと、当日五ツ半(午前九時)までに聖堂に出頭せよという達《たっし》がある。それを受け取った何十人、年によっては何百人の男の児が、当日打ち揃って聖堂の南楼へ出て、林《はやし》図書頭《ずしょのかみ》をはじめとして諸儒者列席の前に一人ずつ呼び出され、一間半もある大きい唐机《からづくえ》の前に坐って素読の試験を受けるのである。成績優等のものに対しては、身分に応じて反物や白銀の賞与が出た。
出頭の時刻は五ツ半というのであるが、前々からの習慣で、吟味をうける者は六ツ時(午前六時)頃までに聖堂の門にはいるのを例としていたので、屋敷の遠い者は夜のあけないうちから家を出て行かなければならない。そうして、いよいよ吟味のはじまる四ツ時(午前十時)まで待っていなければならない。たとい武家の子供だと云っても、ちょうど十二三のいたずら盛りが大勢一度に寄り合うのであるから、控え所のさわぎは一と通りでないのを、勤番支配の役人どもが叱ったり賺《すか》したりして辛くも取り鎮めているのである。子供たちは身分に応じて羽二重の黒紋付の小袖を着て、御目見《おめみえ》以上の家の子は継※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《つぎがみしも》、御目見以下の者は普通の麻※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]を着けていた。
角右衛門の主人の伜杉野大三郎もことし十三で吟味の願いを出した。大三郎は組中でも評判の美少年で、黒の肩衣《かたぎぬ》に萠黄《もえぎ》の袴という継※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]を着けた彼の前髪姿は、芝居でみる忠臣蔵の力弥《りきや》のように美しかった。大身《たいしん》の子息であるから、かれは山崎平助という二十七歳の中小姓《ちゅうごしょう》と、又蔵という中間とを供につれて出た。裏四番町の屋敷を出たのは当日の七ツ(午前四時)を少し過ぎた頃で、尖った寒さは眼に泌みるようであった。又蔵は定紋付きの提灯をふり照らして先に立った。三人の草履は暁の霜を踏んで行った。
水道橋を渡っても、冬の夜はまだ明けなかった。蒼ざめた星が黒い松の上に凍り着いたように寂しく光って、鼠色の靄につつまれたお茶の水の流れには水明かりすらも見えなかった。ここらは取り分けて霜が多いと見えて、高い堤《どて》の枯れ草は雪に埋められたように真っ白に伏して、どこやらで狐の啼く声がきこえた。三人は白い息を吐きながら堤に沿うてのぼってくると、平助は霜にすべる足を踏みこらえるはずみに新らしい草履の緒を切ってしまった。
「これは困った。又蔵、燈火《あかり》を見せてくれ」
中間の提灯を差し付けさせて、平助は堤の裾にしゃがんで草履の緒を立てていた。どうにかこうにかつくろってしまって、さて振り返って見ると、そばに立っているはずの大三郎の姿がどこかへか消えてしまったのである。二人はおどろいた。子供のことであるから、あるいは自分たちを置き去りにして先に行ったのかとも思ったので、二人は若さまの名を呼びながら後を追ったが、半町ほどの間にそれらしい影は見えなかった。いくら呼んでも返事はなかった。ただ時々狐の声がきこえるばかりであった。
「狐に化かされたんじゃあるまいか」と、又蔵は不安らしく云った。
「まさか」と、平助はあざ笑った。しかし彼にもその理窟が判らなかった。自分がうずくまって草履の鼻緒を立て、又蔵がうつむいて提灯をかざしているうちに、大三郎の姿はいつか消え失せたのである。わずかの間にそんな遠いところへ行ってしまう筈がない。呼んでも答えない筈がない。殊にあたりは往来のない暁方《あけがた》であるから、誰かがこの美少年をさらって行ったとも思われない。平助は実に思案に余った。
「そう云っても子供のことだ。あんまり寒いので無暗に駈け出して行ったのかも知れない」
二人はここに迷っていてもしようがないので、ともかくも聖堂まで急いで行った。係りの役人に逢って訊いてみると、杉野大三郎どのはまだ到着されないとのことであった。二人は又がっかりさせられた。よんどころなく再び引っ返して、もと来た道を探して歩いたが、どこにも大三郎の姿は見付からなかった。
「いよいよ狐に化かされたか。それとも神隠しか」と、平助もだんだんに疑いはじめた。
この時代には神隠しということが一般に信じられていた。子供ばかりではない、相当の年頃になった人間でも、突然に姿をかくして五日、十日、あるいは半月以上、長いのは半年一年ぐらいも其のゆくえの知れないことがしばしばある。そうして、ある時に何処からともなしに飄然と戻って来るのである。その戻ってくる場合も常とは違って、ある者は門前に倒れているのもある。ある者は裏口にぼんやり突っ立っているのもある。甚だしいのは屋根の上でげらげら笑っているのもある。だんだん介抱して様子を聞きただしても、本人は夢のようでなんにも記憶していないのが多い。ある者は奇怪な山伏に連れられて遠い山奥へ飛んで行ったなどと云う。その山伏はおそらく天狗であろうと云い伝えられている。仮りにも武士たるものがそんな怪異を信ずべきではないと思いながら、平助も今の場合、あるいは主人の息子もその天狗山伏に掴み去られたのではないかという幾分の不安がきざして来た。
いずれにしてもこれは一大事である。幼い主人の供をして出て、そのゆくえを見失ったとあっては、二人ともにおめおめと屋敷へは戻られない。又蔵はともあれ、仕儀に依っては平助は申し訳に腹でも切らなければならないことになる。二人は顔の色を変えてただ溜息をつくばかりであった。
「仕方がない。屋敷へ帰って有体《ありてい》に申し上げるよりほかはあるまい」
平助はもう度胸を据えて、又蔵と一緒に引っ返した。先刻から往きつ戻りつ、よほどの時を費したので、二人が力のない足を引き摺って再び水道橋を渡る頃には、又蔵の提灯の蝋はもう残り少なくなっていた。狐の声は鴉の声に変っていた。
杉野の屋敷でもこの不思議な報告を受け取って上下ともに顛倒した。併しみだりにこんなことを世間に発表してはならぬと、主人の大之進は家中の者どもの口を封じさせた。聖堂の方へは大三郎急病の届けを差し出して、当日の吟味を辞退することにした。平助と又蔵は無論にその不調法をきびしく叱られたが、主人は物の分かった人であるので、この不調法の家来どもに対して一途《いちず》にひどい成敗《せいばい》を加えようとはしなかった。二人に対しては、せいぜい心をつけて一日も早く伜のゆくえを探し出せと命令した。
これは云うまでもないことで、平助と又蔵とは当然の責任者として、是非とも若殿のゆくえを探し出さなければならなかった。彼等ばかりでなく、屋敷中の者はみんな手分けをして心当りを探索することとなった。奥様は日頃信仰する市ヶ谷八幡と氏神の永田町山王へ代参を立てられた。女中のある者は名高い売卜者《うらない》のところへ走った。表面はあくまでも秘密を守っているものの、屋敷の内輪は引っくり返るような騒動であった。こうして三日を過ぎ、五日を送ったが、美少年大三郎のゆくえは容易に知れなかった。主人も家来も今は手の着けようがなくなったので、とても内輪の探索だけでは埒があかないと見た用人の角右衛門は、今朝そっと八丁堀同心の槇原の屋敷へたずねて来て、どうにか内密に調べてはくれまいかと折り入って頼んだのであった。
「なにぶんにも屋敷の名前にもかかわること。くれぐれも隠密におねがい申す」と、角右衛門は幾たびか念を押した。
「かしこまりました」
半七は参考のために大三郎の人相や風俗を訊いた。あわせてその性質や行状をたずねると、彼は五歳から手習いを始めて、七歳から大学の素読を習った。読み書きともに質《たち》のよい方で、現に今度の吟味にも四書五経いずれも無点本でお試しにあずかりたいという願書を差し出した程であると、角右衛門は自慢そうに話した。併しその口ぶりによると、大三郎はそういう質の子供に免がれがたい文弱の傾向があるらしかった。容貌も優しいとともに、その性質も優しい柔順な人間であるらしかった。
「御子息様には御兄弟がございませんか」
「ひと粒だねの相続人、それゆえに主人は勿論、われわれ一同もなおなお心配いたして居る次第、お察しください」
忠義な用人の眉はいよいよ陰った。
二
神隠し――この時代に生まれた半七はまんざらそれを嘘とも思っていなかった。世の中にはそんな不思議がないとも限らないと思っていた。そこで、それが真実の神隠しであるとすれば、とても自分たちの力には及ばないことであるが、万一ほかに仔細があるとすれば、何とかして探し当らない筈はないという自信もあるので、ともかくも出来るだけのことは致しますと、彼は角右衛門に約束して別れた。
家へ帰る途中で彼はかんがえた。由来、旗本屋敷などには、世間に洩れない、いろいろの秘密がひそんでいる。正直に何もかも話してくれたようであるが、用人とても主家の迷惑になるようなことは口外しなかったに相違ない。したがって此の事件の奥には、どんな入り組んだ事情がわだかまっていないとも限らない。用人の話だけでうっかり見込みを付けようとすると、飛んだ見
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