うちに、冬の短い日はもう暮れかかった。半七は早く夕飯を食って、九段の長い坂をもう一度あがって、裏四番町の横へはいると、どこの屋敷の甍《いらか》もゆうぐれの寒い色に染められて、呪《のろ》いの伝説をもっている朝顔屋敷の大きな門は空屋のように閉まっていた。半七は門番のおやじにそっと声をかけて訊いた。
「お部屋の又蔵さんはいますかえ」
又蔵はたった今、門番にことわって表へ出たが、きっと近所の藤屋という酒屋へ飲みに行ったのであろうとのことであった。中小姓の山崎さんはときくと、これも昼間出たぎりでまだ帰らないと門番が教えてくれた。半七は礼を云って表へ出ると、路の上はすっかり暗くなって、遠い辻番の蝋燭の灯が薄紅くにじみ出していた。藤屋という酒屋を探しあてて、表から店口を覗いてみると、小皿の山椒《さんしょ》をつまみながら桝酒を旨そうに引っかけている一人の若い中間風の男があった。
半七は手拭を出して頬かむりをした。店の前に積んである薪《まき》のかげに隠れて、男の様子をしばらく窺っていると、彼は番頭を相手に何か笑いながらしゃべっていたが、やがて勘定を払わずにそこを出た。
「今夜は頼むよ。その代り二、三
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