様は日頃信仰する市ヶ谷八幡と氏神の永田町山王へ代参を立てられた。女中のある者は名高い売卜者《うらない》のところへ走った。表面はあくまでも秘密を守っているものの、屋敷の内輪は引っくり返るような騒動であった。こうして三日を過ぎ、五日を送ったが、美少年大三郎のゆくえは容易に知れなかった。主人も家来も今は手の着けようがなくなったので、とても内輪の探索だけでは埒があかないと見た用人の角右衛門は、今朝そっと八丁堀同心の槇原の屋敷へたずねて来て、どうにか内密に調べてはくれまいかと折り入って頼んだのであった。
「なにぶんにも屋敷の名前にもかかわること。くれぐれも隠密におねがい申す」と、角右衛門は幾たびか念を押した。
「かしこまりました」
半七は参考のために大三郎の人相や風俗を訊いた。あわせてその性質や行状をたずねると、彼は五歳から手習いを始めて、七歳から大学の素読を習った。読み書きともに質《たち》のよい方で、現に今度の吟味にも四書五経いずれも無点本でお試しにあずかりたいという願書を差し出した程であると、角右衛門は自慢そうに話した。併しその口ぶりによると、大三郎はそういう質の子供に免がれがたい文弱の傾向があるらしかった。容貌も優しいとともに、その性質も優しい柔順な人間であるらしかった。
「御子息様には御兄弟がございませんか」
「ひと粒だねの相続人、それゆえに主人は勿論、われわれ一同もなおなお心配いたして居る次第、お察しください」
忠義な用人の眉はいよいよ陰った。
二
神隠し――この時代に生まれた半七はまんざらそれを嘘とも思っていなかった。世の中にはそんな不思議がないとも限らないと思っていた。そこで、それが真実の神隠しであるとすれば、とても自分たちの力には及ばないことであるが、万一ほかに仔細があるとすれば、何とかして探し当らない筈はないという自信もあるので、ともかくも出来るだけのことは致しますと、彼は角右衛門に約束して別れた。
家へ帰る途中で彼はかんがえた。由来、旗本屋敷などには、世間に洩れない、いろいろの秘密がひそんでいる。正直に何もかも話してくれたようであるが、用人とても主家の迷惑になるようなことは口外しなかったに相違ない。したがって此の事件の奥には、どんな入り組んだ事情がわだかまっていないとも限らない。用人の話だけでうっかり見込みを付けようとすると、飛んだ見当違いになるかも知れない。とりあえず裏四番町の近所へ行って、杉野の屋敷の様子を探って来た上でなければ、右へも左へも振り向くことが出来そうもないと思ったので、半七は神田の家へ一旦帰って、それから又出直して九段の坂を登った。
埋め立ての空地を横に見て、裏四番町の屋敷町へはいると、杉野の屋敷は可なり大きそうな構えで、午すぎの冬の日は南向きの長屋窓を明るく照らしていた。門から出て来た酒屋の御用聞きをつかまえて、半七はそれとなく屋敷の様子を訊いてみたが、別に取り留めた手がかりもなかった。近所の火消し屋敷に知っている者があるので、そこへ行って訊き出したら又なにかの掘り出し物があるかも知れないと、彼は酒屋の御用聞きに別れて七、八間ばかり歩き出すと、その隣りの大きい屋敷から提重《さげじゅう》を持った若い女が少し紅い顔をして出て来た。
「おい、お六じゃねえか」
半七に声をかけられて、若い女は立ち停まった。背の低い肥った女で、蝦蟆《ひきがえる》のような顔に白粉をべたべたなすって、前髪にあかい布《きれ》などをかけていた。
「あら、三河町の親分さんでしたか。どうもしばらく」と、お六はいやに嬌態《しな》をつくりながら挨拶した。
「昼間から好い御機嫌だね」
「あら」と、お六は袖口で頬を押えながら笑った。「そんなに紅くなっていますか。今ここのお部屋で無理に茶碗で一杯飲まされたもんですから」
彼は武家屋敷の中間部屋へ出入りをする物売りの女であった。かれの提げている重箱の中には鮓《すし》や駄菓子のたぐいを入れてあるが、それを売るばかりが彼等の目的ではなかった。勿論、美《い》い女などは決していない。夜鷹になるか、提重になるか、いずれにしても不器量の顔に紅《べに》や白粉を塗って、女に飢えている中間どもに媚《こび》を売るのが彼等のならわしであった。ここで提重のお六に出逢ったのは勿怪《もっけ》の幸いだと思ったので、半七は摺り寄って小声で訊いた。
「お前、この杉野様の部屋へも出入りをするんだろう」
「いいえ。あたし、あのお屋敷へは一度も行ったことはありませんよ」
「そうか……」と半七は少し失望した。
「だって、あすこは名代《なだい》の化け物屋敷ですもの」
「ふうむ。あすこは化け物屋敷か」と、半七は首をかしげた。「そうして、あの屋敷へ何が出る」
「なにが出るか知りませんけれど、いやですわ。ここらで朝顔屋敷
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