ら」と、半七は煙草をすいながら云った。「それでも毎日二三十人はありますかえ」
「多い時はその位ございますが、きょうなぞは唯《た》った十二三人でございました。そのなかで半分ぐらいは日参の方《かた》ばかりでございます」
「やっぱりここまで日参の人がありますかえ、御信心はおそろしいものだ。わたしなんぞは一度でも好い加減にがっかりしてしまった」と、庄太は硬い焼団子を頬張りながら、いかにも感心したように云った。
「御信心もいろいろございますが、中には随分お気の毒なのもございます。けさ木場《きば》の方から見えた若いおかみさんなんぞはほんとうに惨《いじ》らしいようでございました。この寒いのに浴衣一枚で、これから毎朝|跣足《はだし》参りをするんだそうですが、見るから痩せぎすな、孱弱《ひよわ》そうな人ですから、からだを痛めなければいいがと案じています。そりゃあ御信心でございますけれど、あんまり無理をするとやっぱり長続きが致しませんからね」
「その若いおかみさんというのはどこの人で、どんな願《がん》を掛けているのかしら」と、半七も同情するように訊いた。
「それがまったくお気の毒なのでございます」と、女房は土瓶《どびん》の湯をさしながら相手の顔を覗いた。「その女の人は木場の材木問屋の通い番頭さんのおかみさんだそうで、まだようよう十九で、去年の秋ごろにお嫁に来たんだそうですが、その人は二度添いで、今年|三歳《みっつ》になる先妻の子供があるんです。きのうの夕方、その子供をつれて八郎兵衛新田にいる親類の家へたずねて行って、薄暗くなって帰ってくる途中、どうしたものか其の子供の姿が見えなくなってしまったんです。驚いて探し廻ったんですけれど、どうしても知れない。丸髷にこそ結っていますけれど、まだ十九という若いおかみさんですから、途方にくれて泣きながら自分の家に帰っていくと、御亭主が承知しないんです。そりゃあ勿論、おかみさんにも落度はあります。自分の連れている子供を迷子《まいご》にしたんですから御亭主に対して申し訳ないのはあたり前です。おまけに面倒なことは其の人が二度添いで、迷子にしたのは先妻の子供、自分にとっては継子《ままこ》ですから、なおなお義理が立ちません。義理が立たないばかりでなく、悪く疑えば継母根性でその子供をわざと何処へか捨てて来たかとも思われます。現に御亭主もそう疑っているらしく、なんでもおかみさんをきびしく叱って、おまえがそこらの川へ突き落してでも来たんだろう、というようなことを云ったらしいんです。おかみさんはひどくそれを口惜《くや》しがって、その晩すぐに家を飛び出して、自分の潔白を見せるために、近所の堀か川へでも身を投げようと思ったんですが、また急に思い直して、そのまま無事に家へ帰って、けさからこのお稲荷さまへ日参を始めたんだそうです。それにそのおかみさんの運の悪いことは、子供を外へ連れて出ようとして、着物を着換えさせてやる時に、よそゆきの帯に迷子札を着けかえるのを忘れてしまって、そのままで出てしまったもんですから、なんにも証拠が無いんです。それを悪く疑えば、わざと迷子札をつけずに置いたとも云われるんです。人の料簡はなかなかうわべから見えませんけれど、あんなに真っ蒼な顔をして、眼を泣き腫らして、どう見ても嘘やいつわりとは思われません、まったくあのお内儀さんの災難に相違なかろうと思うんですが、その子供が無事に出て来ない以上は、なんと疑われても仕方のないわけです」
この長い話を聴かされて、半七と庄太は眼を見合わせた。
「おかみさん。その子供は女の児かえ」と、庄太は待ち兼ねて訊いた。
「はい。女の児だそうでございます。名はお蝶といって、お父ッつあんは次郎八というんだとか聞きました。子供のことですから、そんなに遠いところへ迷って行きも致しますまいし、川へでも陥《はま》ったのなら死骸がもう浮き上がりそうなもんですが、どうしたもんでしょうかねえ」と、女房は溜息をつきながら云った。「お稲荷さまの御利益《ごりやく》で、どうかまあ、ちっとも早くその子供の安否が知れるようにして上げたいと、わたくし共も蔭ながらお祈り申しております」
「そりゃあ全くだ。しかし信心の徳で、今になんとか判るだろう」
半七は庄太に眼くばせして、幾らかの茶代を置いて床几を起った。茶店を出て、一間ほども行きすぎると、庄太はうしろを見かえりながらささやいた。
「親分。うまく突き当りましたね」
「犬もあるけば棒に当るとは此の事だ。もうこれで何もかもすっかり当りが付いた」と、半七はほほえんだ。
「けれども、まだ判らねえことがありますぜ」と、庄太は仔細らしく首をひねっていた。「その子供の身許はそれで判ったが、どうしてそれが黒沼の屋敷の大屋根に落ちていたんだろう。それがどうも腑におちねえ。一体、親分
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