のに半七も苦しんだ。その日も確かな調べは付かないので、十右衛門は宿へ下げられ、政吉はひとまず八丁堀の大番屋へ送られた。
このままで済めば政吉は頗る不利益であった。いかに彼が冤罪《むじつ》を訴えても、小判二枚を持っていたという証拠がある以上、なかなかその疑いは晴れそうもなかった。しかも彼は幸運であった。無言の証人が源森橋の川しもにあらわれて、この事件の真相を説明してくれた。
それは河獺であった。大きい一匹の河獺が死んで浮き上がったのである。河獺の首には財布の紐が堅くまき付いていた。そうして、その財布のなかには四十両あまりの小判がはいっていた。
荒物屋の夫婦が想像した通り、暗い雨の夜に十右衛門を襲ったのは、やはりこの川にすむ河獺であった。いたずら者の彼は傘のうえに飛びあがって、人間の顔や頸筋をむやみに引っ掻いた。そのはずみに財布の紐が彼の爪に引っかかって、財布は十右衛門の首からぬけ出して更に彼の首に巻きついた。二枚の小判はその時に財布の口からころげ出したのであろう。かれは財布を頸にかけたままで元の川へ飛び込んだから、小判の重みで其の紐が強く吊れるので、かれはそれを取り除けようとして頻りに前脚を働かせるうちに、紐は意地わるくこぐらかって絡み付いて、かれは自分で自分の頸を絞めてしまった。
死んでもかれは容易に浮かばなかった。頸に財布をかけていたからである。四、五日降りつづいた雨が晴れて、川の水がだんだん痩せるに連れて、岸の浅い処にかれの尾や足があらわれて来た。そうして、政吉の冤罪を証明したのであった。政吉は単に叱り置くというだけで赦された。
十右衛門も最初は河獺であろうと思っていたらしい。しかも荒物屋の女房に一朱の礼をやった時に、財布の紛失しているのを発見すると同時に、彼は不図《ふと》あることを思い浮かんだ。それはお元と政吉とに対する嫉妬から湧き出した一種の復讐心で、たとい彼等がほんとうの罪人に落ちないまでも、一旦はその疑いをうけて番屋へ呼び出されたり、あるいは縄付きになったりして、いろいろの難儀や迷惑をするのを遠くから見物していようという、極めて残酷な陰謀であった。
証拠のあがらないうちは、半七も思い切ったことをいうわけにも行かなかったが、政吉の無罪が証拠立てられた以上、彼は十右衛門を憎んでちくちく痛め付けたので、十右衛門もさすがに恐縮して、結局、その河獺の頸
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