らせて、かれは酒を飲みながらおもむろにその仔細を訊き出そうとした。
「それが何と云って、お話のしようもないんですよ」と、徳寿は顔をしかめてささやいた。
「まあ、旦那。聞いてください。わたくしが奥へ通されて、花魁の肩を揉んでいますと……大抵いつも夜か夕方ですが……花魁のそばに何か来て坐っているような工合で……。いいえ、それが新造《しんぞ》衆や女中達じゃありません。そんな人達ならば何とか口を利くでしょうが、初めから終《しま》いまで一度も口を利いたこともないので、座敷のうちは気味の悪いほどにしん[#「しん」に傍点]としているんです。まあ、早く云えば、幽霊でも出て来て、黙っているんじゃないかと思われるようで……。わたくしは身体がぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、どうにもこうにも我慢が出来ないんでございます。それですから、仲働きのお時さんには気の毒ですけれども、この頃は無理に振り放して逃げてくるので……。いえ、もう、一軒のお得意ぐらいはしくじっても仕方がございません」
 なんだか理窟があるような、理窟がないような、一種奇怪な物語をこの盲人から聞かされて、半七も黙ってかんがえていた。日が暮れても雪はまだ降りやまないらしく、白い花びらが暖簾をくぐって薄暗い土間へときどき舞い込んで来た。

     二

 もとより盲《めくら》の云うことで、別に取り留めた証拠もないのであるが、半七はそれを一種の不思議な話として、ただ聞き流してしまうわけには行かなかった。彼はあくまでその不思議の正体を突き止めたかった。その晩は徳寿に別れて、神田の家へまっすぐ帰ったが、あくる朝、浅草の馬道《うまみち》にいる子分の庄太を呼びにやった。
「おい、庄太。廓は田町の重兵衛の縄張りだが、おれが少しちょっかいを出して見たいことがあるんだ。てめえ一つ働いてくれ。江戸|町《ちょう》に辰伊勢という女郎屋があるだろう。あすこの誰袖《たがそで》という女のことを少し洗って貰いてえんだ」
「誰袖は入谷の寮に出ていると云うじゃありませんか」と、庄太は心得顔に云った。
「それを調べてくれと云うんだ。実は少しおれの腑に落ちねえことがあるから……。つまりあの女には情夫《おとこ》でもあるか、なにか人から恨みでも受けているようなことでもあるか。それから如才《じょさい》もあるめえが、その辰伊勢という店の内幕も一と通りは調べあげてくれ」
「わかりました。二、三日中にはみんな調べあげてまいります」
 庄太は受け合って帰った。二、三日という約束が四、五日を過ぎても、庄太は顔を見せなかった。あいつ何をしているのだろうと思ったが、一日を争う仕事でもないので、半七もそのまま打っちゃって置くと、二月の初めになって庄太がぶらりと訪ねて来た。
「親分。申し訳がありません。実は小せえ餓鬼が麻疹《はしか》をやったもんですから」
「そりゃあいけねえな。軽く済みそうか」
「へえ、好い塩梅《あんばい》に軽そうです」と、庄太は云った。「そこで親分、例の辰伊勢の一件ですが、まあ一と通りは洗って来ましたよ」
 庄太の報告によると、辰伊勢は江戸町でも可なり売ったが、安政の大地震のときに、抱えの遊女を穴倉へ閉じ籠めて置いて、みんな焼き殺してしまったとかいうので、それから兎角にけち[#「けち」に傍点]がついて、商売の方もあまり思わしくない。尤も吉原では暖簾の旧《ふる》い店でもあり、ほかにも地所や家作《かさく》などをもっているので、まず相当に店を張っている。当時はおまき[#「まき」に傍点]というのが女主人で、永太郎という今年|二十歳《はたち》の伜の後見をしているが、死んだ亭主と違って、おまきは情けぶかい方で世間の評判も悪くない。誰袖はお職から二枚目の売れっ妓《こ》で、去年の二の酉《とり》が済んだ頃から入谷の寮に出養生をしているが、女に似合わない大酒であるから、酒毒で胸を傷めたのだろうという噂である。年は二十一で、下谷の金杉の生まれだと女衒《ぜげん》が話した。
「いや、御苦労。まずそれで一と通りは判った」と、半七はうなずいた。「そこで、その女には情夫《おとこ》とか何とかいう者はねえのか。それだけの売れっ妓なら何かあるだろう」
「それがはっきりと見当が付かねえそうで……。もちろん馴染みの客は大勢あるんですが、なかなか手取り者らしいんで、どれがほんとうの情夫なんだか、店の者にもよく判っていないということです。これには私も困りましたよ」
 それだけのことでは、半七も考えの付けようがなかった。
「きょうは嬶《かかあ》が留守だから、見舞はいずれ後から届けるが、小児《こども》が病気じゃあ困るだろう。まあ、取りあえずこれだけ持って行け」
 半七は庄太に幾らかの金をやって、まあ午飯《ひるめし》でも食っていけと云うと、庄太は喜んで鰻飯の馳走になった。その間に彼は又
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