と、半七はまた笑った。
「ほんとうに残念でございますね」と、女も笑った。「妹と二人で家をあけちゃあ困るんですけれど、きょうはよんどころない御代参を頼まれたもんですからね。一人で二つ願っちゃあ、あんまり慾張っているようで勿体《もったい》のうござんすから、自分は自分、妹は御代参と、こう役割を決めてまいりました」
「これが病気とでもいうのかえ」
 松吉は親指を出してみせると、女は肩を少しそらせて笑った。
「ほほ、御冗談でしょう。可哀そうにこれでもまだお嫁入り前でさあね。御代参をたのまれたのは、町内の古着屋のおっかさんに……。と云い訳をするのも野暮ですが、そこの妹があたしのところへお稽古に来るもんですから」
「じゃあ、そのおっかさんも御信心なんだね」と、半七は何の気もつかずに云った。
「御信心も御信心ですけれど、すこし心配事がありましてね。そこの息子さんが十日ばかりも前から、どこへ行ってしまったか判らないんですよ。方々の卜者《うらない》にみて貰ったら、剣難があるの、水難があるのと云われたそうで、おっかさんはなおなお苦労しているんです。今もお堂で御神籤《おみくじ》を頂いたんですが、やっぱり凶と出たので……」と、女は苦労ありそうに細い眉を寄せた。
 女は内藤新宿の北裏に住んでいる杵屋《きねや》お登久という師匠であった。かれは半七や松吉の商売を識っているので、ここで遇ったのを幸いに、もしその古着屋の息子のゆくえに就いて、なにか心当りでもあったら知らしてくれと頼んだ。半七はこころよく受け合った。
「なにしろ、おっかさんが可哀そうですからね」と、お登久は同情するように云った。「妹はまだ子供ですし、稼ぎ人にいなくなられちゃあ、どうにもしようがないんです」
「そりゃあ気の毒だね。一体その息子はなんという男で、年は幾つぐらいだね」
 半七に訊かれて、お登久は詳しくその息子の身の上を話した。彼は千次郎といって九つの春から市ヶ谷|合羽《かっぱ》坂下の質屋に奉公していたが、無事に年季を勤めあげて、それから三年の礼奉公をすませて、去年の春から新宿に小さい古着屋の店を出して、おふくろと妹と三人暮しで正直に稼いでいる。年は二十四だが、色白の小作りの男で、ほんとうの暦よりは二つ三つぐらいも若く見えるとのことであった。その話を聴きながら半七は師匠の顔色をじっと窺っていたが、相手に云うだけのことを云わせてしまって、しずかにこう云い出した。
「そこで、師匠。云うまでもねえこったが、その千次郎という息子は早く探し出さなけりゃあ困るんだろうね」
「ええ。一日でも早い方がいいんです。くどくも申す通り、おっかさんがひどく心配しているんですから」と、お登久はすがるように頼んだ。うす化粧をした彼女の顔に、不安の暗い影がありありと浮かんでいた。
「じゃあ、もう少し深入りして訊きてえことがあるんだが、師匠はどうせここへはいるつもりなんだろうから、おれ達も附き合ってもう一度引っ返そうじゃねえか」
「でも、それじゃあんまりお気の毒ですから」
「なに、構わねえ。さあ、おれが案内者になるぜ」
 半七は先に立って、茗荷屋へ再びはいった。好い加減に酒や肴をあつらえて、お登久と妹に飯を食わせてやったが、やがて時分を見て彼はお登久を別の小座敷へ連れて行った。
「ほかじゃあねえが、今の古着屋の息子の一件だが……。おめえも俺にたのむ以上は、なにもかも打明けてくれねえじゃあ、どうも水っぽくて仕事がしにくいんだが……」
 にやにや笑いながらその顔をのぞき込まれて、お登久は少し酔っている顔をいよいよ紅くした。彼女は小菊の紙でくちびるのあたりを掩いながら俯向いていた。
「おい、師匠。野暮に堅くなっているじゃあねえか。さっきからの口ぶりで大抵判っているが、おめえは行く行くその古着屋の店へ坐り込んで、一緒に物尺《ものさし》をいじくる積りでいるんだろう。ねえ、年が若くって、男が悪くなくって、正直でよく稼ぐ男を、亭主にもって不足はねえ筈だ。まあ、そうじゃあねえか。おめえは芸人、相手は町人、なにも御家の御法度《ごはっと》を破ったという訳でもねえから、そんなに怖がって隠すこともあるめえ。いよいよという時にゃあ、俺だって馴染み甲斐に魚っ子の一尾《いっぴき》も持ってお祝いに行こうと思っているんだ。惚気《のろけ》がまじっても構わねえ、万事正直に云って貰おうじゃねえか。おらあ黙って聞き手になるから」
「どうも相済みません」
「済むも済まねえもあるもんか。そりゃあそっち同士の芝居だ」と、半七は相変らず笑っていた。
「そこで、その千次郎という男は、無論に師匠ひとりを大切に守っているんだろうね。無暗に食い散らしをするような浮気者じゃあるめえね」
「それがどうも判りませんの」と、お登久は妬《ねた》ましそうに云った。「確かな手証は見とどけませ
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