とも判った。彼女は安蔵を供の武士に仕立てて、自分は奥女中に化けてお蝶を受け取りに来たのであった。彼女がお蝶の前にならべた二百両は無論に銅脈の偽物であった。
「なにしろ急仕事の偽迎いだもんですからね。ぐすぐずしていると、ほんものの方が乗り込んで来るかも知れないというので、無暗に支度を急いだもんですから、乗物までは手がまわらないで、飛んだ唯今のお笑い草となってしまいましたよ」と、お俊はさすがに悪党だけに何もかも思い切りよくしゃべってしまった。
「それでみんな判った」と、半七はうなずいた。「お前もこんなことで食らい込んじゃあ嬉しくあるめえが、半七が見た以上は、まさかに御機嫌よろしゅう、はい左様ならと云うわけには行かねえ。気の毒だが一緒にそこまで来て貰おうぜ」
「どうも仕方がありませんよ。まあ、いたわっておくんなさいまし」
 併しこんな姿で引っ張って行かれるのは、乞食芝居のようで困るから、どうぞ家から浴衣《ゆかた》を取り寄せてくれとお俊は云った。半七も承知したが、ここではどうにもならないから、ともかくも番屋まで来いと云って、お俊を引っ立てて出ようとするところへ、さっきから入口に立っていた女がはいって来た。
「これが表沙汰になりましては、御屋敷の名前にもかかわります。幸いに事を仕損じて誰に迷惑がかかったというでもなし、この女の罪はわたくしに免じてどうか御勘弁を願わしゅう存じます」
 女がしきりに頼むので、半七は無下《むげ》に跳ねけ付けることも出来なくなった。彼は女の苦しそうな事情を察して、とうとうお俊を赦してやることになった。
「親分さん。どうも有難うございました。いずれお礼にうかがいます」
「礼なんぞに来なくても好いから、この後あんまり手数を掛けねえようにしてくれ」
「はい、はい」
 お俊は器量を悪くしてすごすご帰って行った。これで偽物の正体はあらわれたが、ほんものの正体はやはり判らなかった。併しもうこういう破目《はめ》になっては、なまじいに包み隠しても仕方があるまい、いよいよ相手の疑いを増すばかりで、まとまるべき相談も却って纏《まと》まらないかも知れないと覚ったらしく、女はお亀と半七にむかって自分の秘密を正直に打ち明けた。
 彼女はお俊のような偽物でなく、たしかに或る大名の江戸屋敷につとめている奥女中であった。主人の殿様は江戸から北の方にある領地へ帰っているが、奥方は無論に江戸屋敷に残されていた。奥方には最愛の姫様《ひいさま》があって、容貌《きりょう》も気質もすぐれて美しいお方であったが、その美しい姫様は明けて十七という今年の春、疱瘡《ほうそう》神に呪われて菩提所の石の下へ送られてしまった。あまりの嘆きに取りつめて母の奥方は物狂おしくなった。祈祷や療治も効がなかった。明けても暮れても姫の名を呼んで、どうぞ一度逢わせてくれと泣き狂うので、屋敷中の者も持て余した。その痛ましさと浅ましさを見るに堪えかねて、用人と老女が相談の末に、姫様によく肖《に》た娘をどこからか借りて来て、姫様に仕立ててお目にかけたらば、奥方のお気も少しは鎮まろうかということになった。併しそんなことが世間に洩れては御屋敷の恥じである。あくまで秘密にこの役目を仕遂げなければならぬというので、二、三人の人が手わけをして心当りを探してあるいた。
 その頃の人は気が長い。そうして、根《こん》よく探しているうちに、用人の一人が永代橋の茶店で図らずもお蝶を見つけ出した。年頃も顔かたちも丁度註文通りに見えたので、かれは更に奥女中の雪野というのを連れて来て眼利きをさせた。誰の眼もかわらないで、幸か不幸かお蝶は合格した。
 いよいよその本人が見付かると、それをどうして連れてくるかということについて、屋敷内では議論が二つに分かれた。ひとの娘を無得心に連れて来るというのは拐引《かどわかし》同様の仕方であるから、内密にその仔細を明かしておとなしく連れてくるがよかろうと云う温和な意見もあった。しかし一方には又これに反対して、なにを云うにも相手は茶店の女どもである。いくら口止めをして置いても、果たして秘密を守るかどうか頗る不安心である。また後日《ごにち》にねだりがましい事など云いかけられても面倒である。すこしうしろ暗いやり方ではあるが、いっそ不意に引っさらってくる方が無事であろう。何事も御家の外聞にはかえられぬと云う者もあった。結局、後の方の説が勢力を占めて、その役目を云いつけられた武士どもは、身分柄にもあるまじき拐引同様の所行《しょぎょう》をくり返すことになったのである。
 それほど苦心した甲斐があって、その計略は見ごとに成功した。物狂おしい奥方は、替え玉のお蝶を夜も昼もときどき覗《のぞ》きに来て、死んだ姫の魂が再びこの世に呼び戻されたものと思っているらしく、それからは忘れたようにおとなしくなっ
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