女は受けあごの細おもてに薄化粧をして、眼の涼しい、鼻のたかい、見るからに男まさりとでもいいそうな女振りで、髪は御殿風の片はずしに結っていた。
「御免くださいまし」
半七は何げなく挨拶すると、女は黙って鷹揚に会釈《えしゃく》した。
「わたくしはこのお亀の親戚《みより》の者でございますが、うけたまわりますれば、こちらの娘を御所望とか申すことで。なにぶんにも婿取りの一人娘ではございますが、それほど御所望と仰しゃるからは、御奉公に差し上げまいものでもございません」
お亀はびっくりして半七の顔を見ると、彼はつづけてこう云った。
「勿論、あなたの方にもいろいろの御都合もございましょうが、いくら音信不通のお約束でも、せめて御奉公の御屋敷様の御名前だけでも伺って置きたいと存じますのが、こりゃあ親の人情でございます。どうぞそれだけをお明かじ下さいましたら……」
「折角でありますが、御屋敷の名はここでは申されません。ただ中国筋のある御大名と申すだけのことで……」
「あなた様のお勤めは……」
「表使を勤めて居ります」
「左様でございますか」と、半七は微笑《ほほえ》んだ。「では、まことに申しにくうございますが、この御相談はお断わり申しとう存じます」
女の眼はじろりと光った。
「なぜ御不承知と云われます」
「失礼ながら御屋敷の御家風が少し気に入りませんから」
「異なことを……。御屋敷の御家風をどうしてお前は御存じか」と、女は膝をたて直した。
「奥勤めの御女中の右の小指に撥胝《ばちだこ》があるようでは、御奥も定めて紊《みだ》れて居りましょうと存じまして」
女の顔色は急に変った。
「御免くださりませ。たのみます」
格子の外で案内《あない》を頼む女の声がきこえた。
四
「お出で遊ばしませ。まあ、どうぞこちらへ」
入口へ出たお亀がうろうろしながら、新しい女客を奥へ招じ入れようとすると、案内を頼んだ女は少しためらっているらしかった。
「どうやら御来客の御様子でござりますな」
「はい」
「では、重ねてまいりましょう」
引っ返そうとするらしい女を、半七は内から呼びかえした。
「あの、恐れ入りますが、しばらくお控えくださいまし。ここにあなたの偽物がまいって居りますから、どうか御立ち会いの上で御吟味をねがいとう存じますが……」
はじめの女はいよいよ顔色を変えたが、彼女はもう度胸を据えたらしく、急ににやにや笑い出した。
「親分。お見それ申して相済みません。さっきからどうも唯の人でないらしいと思っていましたが、おまえさんは三河町の親分さんでございましたね。もういけません。頭巾をぬぎましょうよ」
「そんなことだろうと思った」と、半七も笑った。「実は表へまわって見ると、御大名の御屋敷のお迎いが辻駕籠もめずらしい。奥女中の指には撥胝がある。どうもこれじゃあ芝居にならねえ。おめえは一体どこから化けて来たんだ。偽迎いも偽上使もいいが、役者の好い割にゃあ舞台がちっとも栄《は》えねえじゃあねえか」
「どうも恐れ入りました」と、女は頭をすこし下げた。「この芝居はちっとむずかしかろうと思ったんですが、まあ度胸でやってみろという気になって、どうにかこうにか段取りだけは付けて見たんですが、親分に逢っちゃ敵《かな》いませんよ。こうなりゃあみんな白状してしまいますがね。わたくしは深川で生まれまして、おふくろは長唄の師匠をしていましたんです」
彼女の名はお俊といった。母は自分のあとを嗣《つ》がせるつもりで、子供のときから一生懸命に長唄を仕込んだが、お俊は肩揚げの下りないうちから男狂いをはじめて、母をさんざん泣かせた挙句に、深川の実家を飛び出して、上州から信州越後を旅芸者でながれ渡って、二、三年前に久し振りで江戸に帰ってくると、深川の母はもう死んでいた。それでも近所には昔の知人が残っているので、彼女はここで長唄の師匠をはじめて、少しは弟子もあつまるようになったが、道楽の強い彼女はとてもおとなしくしていられなかった。詰まらない男に引っかかって、金が欲しさに女囮《つつもたせ》もやった。湯屋の板の間もかせいだ。そのうちにお俊はこの近所の魚屋《さかなや》からふとお蝶の噂を聞き込んだ。
魚屋はお俊が懇意の家で、そこの娘はお亀とも心安くしているので、お蝶がときどきに怪しい使いに誘拐されてゆくという噂が自然にお俊の耳に伝わった。お蝶の容貌《きりょう》好しをかねて知っている彼女は、この怪しい使いを利用して、娘を更に自分の手へ誘拐しようという悪い料簡を起した。ふだんから自分の手先につかっている安蔵という奴に云いふくめて、二、三日まえからお亀の家の近所をうろついて、内の様子を窺わせているうちに、その屋敷からお蝶を一生奉公にかかえたいという掛け合いに来たことも判った。お蝶がゆうべ戻って来たこ
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